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Vol.1 合唱対話篇

第12回 時空を超える合唱史の旅(2)―東方教会聖歌のオリエンタルな響き―


初期キリスト教聖歌

熱血漢:
前回は、オクシュリンコスの聖歌についてまで話したね。その後に現れる聖歌にはどんなものがあるの?

歴史派:
3〜5世紀ころに成立した東方教会聖歌が、初期のキリスト教聖歌として名高いよ。初期の東方教会聖歌には次のようなものがある。

◇アルメニア教会:4世紀以来の歴史を持つ。古アルメニア語で歌われる
◇シリア教会:西シリア。シリア語はアラム語の一方言。アラム語はイエスが生前話していた言語
◇コプト教会:南エジプト。アラビア語で歌われる(1)
◇エチオピア教会:アビシニア教会。ゲエズ語で歌われる
◇ビザンツ教会

といった諸教会がそれぞれ立派な聖歌を持ち、伝統を保ち続けてきた(2)

東方教会の伝統を汲む教会は、無伴奏の聖歌が圧倒的に多い。しかし、中にはコプト教会やエチオピア教会のように、太鼓やシンバル、それにシストルムと呼ばれるガラガラ風の楽器まで使用し、リズムを取る例もある(3)
シリア聖歌やコプト聖歌等の響きは、とてもオリエンタルなものだよ。しかし、現在のものが、当時の姿のままで残ったものとは考えにくいといった趣旨の指摘もなされている(4)

熱血漢:
東方教会聖歌か。
たしかに、キリスト教発祥の地であるエルサレムは東方に位置しているよね。それに、新約聖書の原典は、古代ギリシャ語で書かれていたということもあるし。

歴史派:
それはそうだね。
ただ、その東方教会聖歌の成立に対して何らかの影響を与えたものの存在も考えられる訳だ。

熱血漢:
というと?

歴史派:
「キリスト教会の聖歌はユダヤ教の会堂聖歌や当時のヘレニズム(世界的ギリシャ的)音楽文化を母胎として生まれたものである」といわれている(5)。つまり、古代ユダヤ音楽と古代ギリシャ音楽の2つだね。

熱血漢:
おお、そう言われると、東方教会聖歌の成立にそれらがどのように寄与したのか、その点も知りたくなってしまうよ。
ところで、新しい言葉が出てきたね。ユダヤ教会堂とは?

歴史派:
ユダヤ教会堂は、シナゴーグともいい、ユダヤ教の公的な祈祷・礼拝の場所をさす言葉だよ。ギリシャ語で集会を意味するシュナゴゲ(synagōgē)に由来している。

熱血漢:
ふむふむ。


古代ユダヤ音楽による影響

理論派:
ユダヤ教会堂歌の様式は,初期キリスト教会に採用され,キリスト教聖歌の成立に大きく貢献したといわれる(6)

ユダヤ会堂歌とキリスト教会歌とで共通するものの中に、ユダヤ音楽の古代要素が含まれていることが研究で明らかにされているんだ(7)。そこから、ギリシャ正教会聖歌、アルメニア聖歌、グレゴリオ聖歌などの歌のうちの古いものは、起源としてユダヤ教会堂歌の型を改作したものと見られている。

歴史派:
ただ、グラウト/パリスカによる次の指摘もあるので留意したいね。

「ユダヤ教のシナゴーグの発展はキリスト教徒たちが模範とするにはあまりにも遅い、おそらく紀元後1世紀と2世紀に起こったものである。たとえば詩編を日々歌うことは、キリスト教時代に入いってかなり経つまでは行われなかったようである。キリスト教の礼拝式がシナゴーグに負っているのは、暦に合わせて講読し、それについて集会所で公に講釈するという習慣であった。」(8)


古代ギリシャ音楽による影響

熱血漢:
古代ギリシャ音楽は、どのように東方教会聖歌に影響を与えたの?

理論派:
念のため確認しておくと、古代ギリシャ音楽の特色は、

◇数比を用いて音階論を精緻に展開する点
◇テトラコードを用いて音階をつくる点
◇古代ギリシャ完全音組織をつくり、更にそこから旋法体系をつくる点

というものだった(詳しくは「第7回 天体の音楽(2)」参照)。

熱血漢:
そうだったね。

理論派:
古代ギリシャ音楽は、特に音階について初期キリスト教会音楽に影響を与えたんだ。

日本の正教会聖歌の専門家は次のように指摘している。
「聖師父らは、音楽が人間の心に作用する影響を考え、神を讃美する祈祷文を載せるのにふさわしい旋律を厳選すべきであると考えた。当時の音楽、古代ギリシャ音楽にはいくつかの音階が存在したが、その中で極端に陽気でなく、また逆に極端に陰鬱でもなく、また極端に甘ったるくもない音楽を作ることができる音階として選ばれたのが、別名を教会音階とも呼ばれるジアトニカという音階であった。」(9)

聖師父というのは、キリスト教の東方教父のことだよ。彼らは、ギリシャ語で著作したことから、ギリシャ教父とも呼ばれる。
ジアトニカというのはディアトニック音階のことだね。

熱血漢:
つまり、初期の東方教父たちは、聖歌をつくるための音階を検討し、その結果、ギリシャ音楽のディアトニック音階を採用したということなの?

理論派:
そのようだね。

金澤正剛先生も著書『古楽のすすめ』の中で、中世の音楽界にディアトニック音階が導入された点について述べておられる(ただし、東方聖歌のための音階導入の検討過程について論じている訳ではない)。そして、それが我々にとって最もなじみ深いピアノの白鍵を並べたディアトニック音階であって、ギリシャ音楽にルーツをもつことを強調している。特に、ギリシャの完全音組織の基本音であった音が、現在でもA(アー)の音とされていること、日本でもイ音として扱われていることを指摘しているよ(10)

熱血漢:
僕も、どうしてラの音がAやイという一番最初の記号で呼ばれているのか、ずっと疑問だったのだよ。その理由は古代ギリシャにあったのか。何だかスッキリした。

理論派:
そう考えると、面白いよね。
ところで、教会音楽理論の基礎をつくったとされるアレクサンドリアのクレメンス(150頃〜215頃)は、教父哲学の祖ともいわれる人なんだ。

当時の東方教父たちの問題意識は、密儀宗教的な思想形態をもった異端思想へどう対応するかということだった。そして、アレクサンドリアのクレメンスは、ギリシャ哲学の遺産を用いて異端思想への反論を展開した(11)。そのことからも、東方教父がギリシャの哲学や音楽に詳しかったのは当然だったという風にも思われるよ。


シリア聖歌の影響力

熱血漢:
うん。初期の東方教父らが、ギリシャ音階のうちディアトニック音階に着目して教会音楽に導入したのはよく解った。

その後、聖歌はどのように発展するの?

理論派:
発展のための影響の発信源という意味では、シリア聖歌が、他の東方教会の聖歌に対して影響力を持ったといわれている(12)

熱血漢:
おお、シリア聖歌が。

理論派:
当時、シリア聖歌の豊かな音楽性は良く知られていたらしい。その歴史的意義は、教会音楽の讃歌形式を生みだしたことであり(13)、交唱の始まりもシリア聖歌にあるとされる(14)。その影響は、大変に強く、ビザンティン教会をはじめとする東方教会の聖歌のみならず、西方教会聖歌にも影響を及ぼしたとされているよ(15)


八調(オクトエコス)とは

理論派:
さらに、東方教会は八調(オクトエコス)をつくり上げていく。

八調とは、8週を1循環とする教会暦に従って8つの調べを毎週定められた順に歌唱して行くシステムのことだよ(16)
シリア聖歌の詞を8つの調べに分類し、それぞれ固有の旋律によって歌われたものがその基となった(シリア誕生説の他、それ以前より存在したとの説もある)。
このシリアの八調を継承したのが、ビザンティン教会だった。そして、ビザンティンを通じてローマにも影響を与えた。八調は西方の8教会旋法と類縁があるといわれている(17)

歴史派:
類縁があるというよりも、八調の「旋法体系は、8世紀後半にローマ・カトリック教会にもたらされ、その教会旋法の成立に決定的な役割をはたした」とはっきり述べている専門家もいるね(18)

熱血漢:
なるほど。
(諸説はあるものの)シリア聖歌の伝統の中で八調が生まれ、それが他の東方教会や、西方教会にまで影響を及ぼしていったと、とりあえず考えてもよいようだね。
でも、その八調と古代ギリシャ旋法との関連という点はどうなの?

理論派:
先ほど引用をさせて頂いた正教会聖歌の専門家は、古代ギリシャのディアトニック音階は「八つの調を持っており、これが八調の元となったのである」と述べておられる(19)

ただし、西方の教会旋法と古代ギリシャ旋法を比較しても、旋法名について古代ギリシャからの借用がある点は除いて、類似点はない(20)

そのことも含め、シリア正教会の八調がどのように発生したのかという点は、僕が調べている限りでは、よく分からない部分がある。

八調の起源に関連するのか否かも定かではないけど、エデッサ(現在のシャンルウルファ)の哲学者バルデサネス(バル・ダイサン。154〜222)が、シリアのキリスト教聖歌の始まりに大きな役割を果たしたとの指摘を見かける。
また、バルデサネスの息子である詩人ハルモニウスは、美しいギリシャ風の歌に異端の教えをのせて広めていたという。これに対し、エフレム(306頃〜373)は、ハルモニウスの詩と音楽のパターンを使用して、キリスト教の正しい教えをのせた新しい聖歌を作った。エフレムは、ハルモニウスの武器を逆手にとって対抗したという訳だね(21)
バルデサネスやエフレムらが業績を残した地であるシャンルウルファの音楽伝統(22)のあたりに、もしかしたら八調の起源のヒントがあるかもしれない。今後の研究課題としたいね。


東方正教会の聖歌を聴いてみよう

歴史派:
ここで、実際に東方正教会の聖歌を聴いてみよう。かなり新しい時代になって作られた作品だけどね。ボルトニヤンスキー(1751〜1825)の作曲した「常にさいわい」という曲です(23)


熱血漢:
曲の終りの方の旋律が特に美しいね。

歴史派:
この曲は、日本の正教会聖歌隊のレパートリーにもなっているそうだよ。

念のため、確認をしておくと東方正教会の聖歌と一口にいっても、東方教会は、聖歌の統一を行っていないので、各地域で多様な発展を遂げているんだ。
例えば、ブルガリア(865年にキリスト教国教化)の正教会聖歌は、ビザンティン教会圏古来の伝統的唱法ではあるものの、西方教会のイエズス会士の伝えた西洋音楽との交錯や、ブルガリア民謡の要素もあるとされ、固有のポリフォニーとなっている(24)
その持続する重厚な低音とメリスマ的な旋律が生む和声の響きには、何ともいえない素晴らしさがある。また、いわゆる東方の響きというものも充分に感じることができる。チャンスがあったら是非聴いてみてね。


西方教会聖歌の伝統

熱血漢:
初期の頃のことを含め、東方の聖歌のことは段々と分かってきたよ。一方、西方教会の聖歌は、いつ頃から発展していくの?

歴史派:
グレゴリオ聖歌の成立前の西方聖歌の伝統としては、

◇ガリア聖歌:ケルトとビザンティンの両方の要素を含んでいた
◇モサラベ聖歌:詞と旋律は保存されているが訳譜が不可能。トレドと周辺の修道院ではモサラべ式典礼の面影が多少残っている
◇古ローマ聖歌:8世紀に遡り得る

などが挙げられる。これらが典礼音楽のまとまりとして産み出された年代としては5〜8世紀頃とされている(25)

これらとは別に、最も古い伝統を持つものとして、ミラノのアンブロシウス聖歌(386年〜現代まで)がある。

熱血漢:
アンブロシウスという名前は聞いたことがあるような気がする。

理論派:
アンブロシウス(339頃〜397)は、西方教父(ラテン教父)としても著名な人だよ。あの教父アウグスティヌスが386年にマニ教からキリスト教への劇的な回心をするには、アンブロシウスの説教を聞いたことも大きく影響していた。そして、387年にミラノでアウグスティヌスの洗礼を行ったのは何を隠そう教父アンブロシウスなんだ。

熱血漢:
アウグスティヌスの師ということは、すごい人なんだね。

歴史派:
ミラノ司教という立場にいたアンブロシウスは、東方の初期キリスト教徒たちの例に倣って典礼に歌を用いることに積極的だった。そうして、東方聖歌の伝統を摂取し、交唱(2つの合唱または2群の歌手の交替による歌い方)を始めるなど、アンブロシウス聖歌と呼ばれる単旋律聖歌の礎をつくったといわれる(26)

理論派:
その点は、アウグスティヌスも著書『告白』の中で、「これより少し前にミラノの教会は、この種の慰藉と励まし合いをすることをはじめ、兄弟たちは声も心も一つにして、熱心にそれに加わっていた。…そのとき、はじめて東方教会の流儀に従って、賛美歌と詩篇を歌うことが定められたのであるが、それは人民が苦難に耐えきれなくなって、意気阻喪することのないためであった」と記述しているね(27)

熱血漢:
ところで、なぜアンブロシウス聖歌だけは、現代に至るまで伝統を豊かに保持し続けることができたの?

歴史派:
アンブロシウスはとても権威のある教父だったんだ。ミラノもそのアンブロシウスが築いた伝統の重要性を強調したと見られる。そのために、歴代のローマ教皇も、ミラノに対して統一のための強制力を行使することができなかったのではないかという見方がある(28)

熱血漢:
なるほど。アンブロシウス聖歌、とても興味深いね。
次回は、どのようにグレゴリオ聖歌が成立していき、発展していくのかという話になるね。

歴史派:
そうしましょう。

【註】

  • 1)エジプトのコプト教会の現地調査報告として,粟倉宏子・水野信男(著)「調査報告―東方教会音楽探訪―」,『音楽学』23巻2号148-150,1977年。
  • 2)ユダヤ教会歌や初期キリスト教の聖歌をまとめて聴くことのできる音源として,皆川達夫(監修),金澤正剛・川端純四郎(編集)「初代教会とユダヤ教の音楽」,『CDで聴く キリスト教音楽の歴史』,日本キリスト教団出版局,2001年。
  • 3)金澤正剛(著)『CDで聴くキリスト教音楽の歴史 キリスト教音楽の歴史 初代教会からJ.S.バッハまで』日本キリスト教団出版局,2001年,30頁。
  • 4)同上書,28頁。
  • 5)野村良雄(著)「グレゴリオ聖歌の時代」,野村良雄(監修)『西洋音楽史 : アルヒーヴ・レコードによる音楽史 上』,音楽之友社,1958年,12頁
  • 6)水野信男(著),「ユダヤ教会歌とグレゴリオ聖歌」,『島根大学教育学部紀要』第6巻55-75,1972年,55頁
  • 7)同上書,66頁。
  • 8)ドナルド・ジェイ・グラウト/クロード・V. パリスカ(著),戸口幸策・寺西基之・津上英輔(訳)『新西洋音楽史(上)』,1998年,40頁。
  • 9)スヴェトラーナ山崎ひとみ(著),『聖歌リーダーのための聖歌史』,2013年,2頁。
  • 10)金澤正剛(著)『新版 古楽のすすめ』音楽之友社,2010年,94-95頁。
  • 11)前掲,金澤正剛(著)『CDで聴くキリスト教音楽の歴史 キリスト教音楽の歴史 初代教会からJ.S.バッハまで』,30頁。
  • 12)前掲,ドナルド・ジェイ・グラウト/クロード・V. パリスカ (著),戸口幸策・寺西基之・津上英輔 (訳),40頁。前掲,野村良雄,12頁。
  • 13)梶原マリ(著)「東方正教会 聖歌について」,『国立音楽大学研究紀要』第9巻,37-53,1974年,38頁。
  • 14)藤塚あつ子・岩間潤子(著)「典礼聖歌― 主としてその歴史について」,南山大学図書館カトリック文庫通信No.20,2005年
  • 15)粟倉宏子(録音/解説/写真),『地球の音楽フィールドワーカーによる音の民族誌29 シリア/イラク 東方の響き シリア正教会の聖歌』,日本ビクター,1992年,解説13頁。
  • 16)同上,解説14-15頁。
  • 17)ただし、東方正教会はこの説を認めていない(1989年時点),二見淑子(著)「グルジア民謡とグルジア正教会の聖歌(2)―その発展と性格(特に音組織)―」,『キリスト教論藻』No.22,53 -73,1989年,58頁参照。
  • 18)水野信男(著)「東方正教会の音楽」,皆川達夫(監修),金澤正剛・川端純四郎(編集)『CDで聴く キリスト教音楽の歴史 各曲解説・歌詞対訳T』,日本キリスト教団出版局,31-34,2001年,32頁。なお、同箇所には八調(オクトエコス)の源流につき「ユダヤ教会(シナゴーグ)や、シリア、パレスチナの初期キリスト教会に源流を発する」との記述がある。
  • 19)前掲,スヴェトラーナ山崎ひとみ,3頁。
  • 20)前掲,ドナルド・ジェイ グラウト/クロード・V. パリスカ(著),戸口幸策・寺西基之・津上英輔 (訳),86頁。
  • 21)ゲオルギイ松島雄一(監修),マリア松島純子(編集)「なごや『聖歌』だより」2004年5月号,名古屋ハリストス正教会。
  • 22)アレッポに集団移住したシリア正教会ウルファグループの音楽伝統を調査した論文として,粟倉宏子(著)「宗教共同体における音楽文化の構成 : アレッポのシリア正教会ウルファグループに関する一考察」,『中京大学教養論叢』 28(1),73-93,1987年。
  • 23)前掲,梶原マリ,49-50頁に掲載の楽譜を参照した。
  • 24)前掲,水野信男(著)「東方正教会の音楽」,34頁。
  • 25)前掲,ドナルド・ジェイ グラウト/クロード・V. パリスカ(著),戸口幸策・寺西基之・津上英輔 (訳),43-44頁。
  • 26)前掲,金澤正剛(著)『CDで聴くキリスト教音楽の歴史 キリスト教音楽の歴史 初代教会からJ.S.バッハまで』,38-40頁。
  • 27)アウグスティヌス(著),服部英次郎(訳)『告白 上』岩波書店,1976年,303-304頁。
  • 28)前掲,金澤正剛(著)『CDで聴くキリスト教音楽の歴史 キリスト教音楽の歴史 初代教会からJ.S.バッハまで』,51頁。

by KIN 2014/08/17 




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