<
HomeArchive研究コラム > 第7回天体の音楽(2)−テトラコードと古代ギリシャ旋法

Vol.1 合唱対話篇

第7回 天体の音楽(2)−テトラコードと古代ギリシャ旋法−


アリストテレスの天体論

さかわの:
前回は、古代ギリシャのピタゴラス派、それにプラトンが天体の音楽についてどう考えていたかを見てきました。その後、色々な紆余曲折があったのではないかと思うのですが。

KIN:
うん。まず見逃せないのは、アリストテレス(B.C.384〜B.C.322)が著書「天について」の中で、天体の音楽を明確に否定する立場をとったことだね。

アリストテレスは、星自身は動いておらず、星が付着している天球が動いているという考えをもっていた。 その上で、音を発するのは、動いていないものの中で動くものだけである。動いているものに付着しているだけで、しかも摩擦を生じていないものは音を発しない。 ところで、星は天球に付着しているのだから、音を出さない。それは、あたかも大きな船が川面に浮かんでいるときに、船の巨体は動いているけども音を出さないのと同様なのだという趣旨の考えを示している。

さかわの:
なるほど。完全に天体の音楽を認めないスタンスですね。
アリストテレスといえば万学の祖といわれる人で、プラトンの弟子でありながら師匠のプラトンの思想に対して厳しい批判をし、哲学史に金字塔を打ち立てたことで知られています。
著名なラファエロ(1483〜1520)の絵画「アテナイの学堂」では、プラトンが絵の中央で上方を指差しているのに対して、アリストテレスは前方に腕を伸ばしている様子が描かれています。
これは、ラファエロがプラトンとアリストテレスの思想を、対照的に描いたものだといわれています。つまり、第4回「ピタゴラス音律ってなんだろう(1)」の回でも触れられたとおり、プラトンの思想というのは、現実の世界は真実の世界の影の様なもので、真実の美や正義は肉体の目や耳では捉えることはできないといった基本認識に立っているのに対し、アリストテレスは、事物の本質は現実から乖離してどこかに在るものではないということを基本に据えて考えていた人であるということですね。

KIN:
さかわのくんのご指摘のとおり、アリストテレスのプラトン批判は手厳しいけど、ピタゴラス派への批判もかなり厳しいんだ。
でも、当然ながらピタゴラス派やプラトンの考えを全て捨て去っている訳ではない。
そのことは、例えばアリストテレスが唱えた中庸という概念を見るとよくわかる。アリストテレスは、節制も勇敢も過超と不足によって失われるけれども、中庸によって保たれるという。 ここで過超や不足ということを考えるとき、その背景には数比的な思考があるはずだよ。
アリストテレスは、道徳論の中に数比的な思考を持ち込み、「善さや徳とは何か」という問題をまるで直線を二等分する点の位置を求めるように解こうとしたんだね。 その意味では、少なくとも部分的には、「数比によって法則を理解しよう」という発想の継承者であると見ることができるよ。


アリストクセノスのハルモニア原論

さかわの:
天体の音楽の考えへの影響としてみると、アリストテレスというスーパースターが現れて、しかも否定の論陣を張ったことは衝撃だったと思います。そのこと以外では何か影響はあったのでしょうか。

KIN:
アリストテレスの弟子のアリストクセノス(生没年不詳。B.C.4世紀後半頃)が現れて、「ハルモニア原論」という本を書くよ。彼がこの本でピタゴラス音律とは異なる音階論を主張するのが、大きなトピックになるね。

さかわの:
アリストテレスの考え方の影響を、弟子であるアリストクセノスも受けていたのでしょうか。

KIN:
うん。かなり受けていたと思う。
始めアリストクセノスは、ピタゴラス派だったんだ。ところがピタゴラス派を出て、アリストテレス門下に入る。
そして、「ハルモニア原論」では、名指しこそは避けるけど数比を用いた考え方に対し「珍妙で現象に反した理論」といってこれを批判し、数比を一切用いない音階論を述べる。
ピタゴラス派は、宇宙の法則を数によって掴もうとし、音楽も数比の法則によって捉えようとしたところに特徴があったのに対し、アリストクセノスは音楽において数比の法則を放棄している訳だから明確な違いとなるよね。

さかわの:
そうですね。具体的には、ピタゴラス音律では、3:2という数比を基に音律をつくっていました。アリストクセノスは、数比を用いないでどうやって音階をつくったのですか。

KIN:
ピタゴラス音律が3:2の比を基準とした掛け算の原理でつくられたとすれば、アリストクセノスの考え方は足し算の原理だったんだ。 例えば、アリストクセノスでは、基準を全音1個だと考えて、完全4度の音程は全音2個半という。完全5度の音程は全音3個半という。だから、オクターブは全音5個&半音2個となるという。 これはピタゴラス派的な数比の論理ではないことは明らかだね。

さかわの:
たしかにそうですね。

KIN:
それだけではなく、アリストクセノスの「ハルモニア原論」を読んでみると、天文学についての記述は全然見当たらないことに気付く。 天体の音楽ついては関心がまるでないようだよ。あるいは、あえて天体について記述しないことでピタゴラス派への暗黙の批判とした可能性もあるかと思う。

完全5度、完全4度って?

さかわの:
なるほど。
ちなみに、完全5度とか完全4度という言葉が出てきましたが、5度とか4度の前に「完全」が付いているのはどういう意味なのか、念のため確認しておきましょう。

KIN:
全音3個と半音1個の5度は響きがとても澄んでいるので、完全5度と呼ぶのだね。そしてそれよりも狭い全音2個と半音2個の5度を減5度と呼ぶという訳です。 シ−ファは減5度だね。残りの5度音程はどこをとっても完全5度になる。
4度については、ド−ファの音程が4度になる訳だけど、これは全音2つと半音1つからなる。他方、ファ−シの音程も4度だけど、全音が3つあるね。
全音2つ&半音1つの4度を完全4度という。響きが澄んで美しいからね。これに対し、全音3つのファ−シを増4度という。完全4度に半音が1つ増えたために増4度と呼ぶ訳だね。 ちなみに、増4度はファ−シだけで、残りの4度音程はどこをとっても完全4度になる。


テトラコードとは?

さかわの:
用語の確認が済んだところで、話を元に戻しましょう。
ピタゴラス派が掛け算の原理を、アリストクセノスは足し算の原理をそれぞれ採用していたことはわかりました。 さらに理解を深めるためにもう少し具体的に見てみたいと思うのですが。

KIN:
そうだね。少々踏み込んで検討してみましょう。
そのためにまず古代ギリシャの音階論の基本となるテトラコードについて見ておこう。先ほど、アリストクセノスの考え方をざっくりと見るために、ちらっと完全4度の例を出したよね。
実は、古代ギリシャにおいては、完全8度のオクターブの音階を構成する基本的な単位は、完全4度の枠をもった4つの音からなる音列であるテトラコード(古代ギリシャ語でテトラコルドン、「4つの弦」の意味)だったんだ。

さかわの:
どうしてテトラコードが基本的な単位として扱われるようになったのでしょうか。

KIN:
それは、テトラコードがリラと呼ばれる古代ギリシャの竪琴に由来する概念だからなんだ。 リラには4本の弦が張られている。そして、各弦は最低音と最高音が完全4度の音程となるように調律され、その間にある2本の弦は完全4度の音程内で調律されていた。

さかわの:
だから、テトラコードは完全4度およびその間の2つの音を合わせた4音のことを示すものとして使われるのですね。

KIN:
テトラコードを基本とする点では、ピタゴラス派もアリストクセノスも同様で、これは古代ギリシャ音楽の揺るがない特質といわれている。


テトラコードとテトラクテュス

さかわの:
ところで、テトラコードの「テトラ」と聞きまして、ピタゴラス派が神聖視していたテトラクテュス(1,2,3,4という4つの数字)と何か関係があるのかな、と考えてしまったのですが。

KIN:
そこは、とても興味深い点だよね。
アタナシウス・キルヒャー(1601〜1680)という学者が書いた「普遍音楽」という本に、ギリシャの哲学者ニコマコス(60頃〜120頃)の言が紹介されている。
ニコマコスいわく、最初の楽器を発明したのは、ローマ神話の神メルクリウス(ギリシャ神話のヘルメースと同一視される)である。その楽器は、世界の比率と根源的音楽に従い、弦は4本張られていた。 これによって音楽は隠された比率を用い、この世のすべてを支配する。そしてそれはテトラクテュスのハルモニアであるという。

さかわの:
神話的な描写が混じってはいますが、4つの弦(テトラコード)とテトラクテュスとは関連があったという見方もできそうですね。

KIN:
そうだね。

さかわの:
4つの弦(テトラコード)から成る竪琴が奏でる音の、その協和する比の関係(4:3、3:2、2:1)にもテトラクテュス(1、2、3,4)が現れた訳です。これを初めて知ったときのピタゴラス派の人たちの感動と興奮は察するに余りありますね。

KIN:
うん。しみじみそう思うよ。


テトラコードの分割についての考え方の対立

さかわの:
しかし、テトラコードは、あくまで完全4度の内の4つの音の関係ですから、当然それだけでは8度のオクターブの音階を構成するには足りませんよね。

KIN:
そうだね。だから、まず第一にテトラコードを決め、第二にそれを結合するという方法で音階をつくるというやり方を古代ギリシャ人はしていた。 ものすごく簡略化していうと、「ド、レ、ミ、ファ」と「ソ、ラ、シ、ド」の2つのテトラコードから音階をなすというイメージだね。
重要なのは、完全4度の音程を「どのような考えのもとに分割するか」という点で、ここが立場の基本的な分かれ道になる。

さかわの:
ここが立場の違いが出る分岐点なのですね。
ピタゴラス派は、当然のことながら数比の考え方で完全4度を分割してテトラコードをつくりますよね。

KIN:
うん。
第5回ピタゴラス音律ってなんだろう(2)で既に見てきたように、ピタゴラス音律では、完全5度(3:2)と完全4度(4:3)が音階の中でしっかり位置が決まっていたよね。 だから、次は完全5度と完全4度の音程差はどうなるかということを調べていく、という手順になるよ。

さかわの:
音程差を調べるには、どういう計算をすればよいのでしょう。

KIN:
それについては、キルヒャーの本にしっかり書いてあるんだ。
ピタゴラス派による数比の音階論では、完全5度に完全4度を加えた音程の比率を算出するには、それぞれの比率を掛け算すればいい。完全5度(3:2)と完全4度(4:3)だから、式は

2分の3×3分の4=2

となる。これが完全8度、つまりオクターブの比率だね。

これに対して、音程の差を求めるには逆の演算をすればいい。つまり割り算だね。完全5度(3:2)と完全4度(4:3)の音程差ならば、計算式は

2分の3÷3分の4
=2分の3×4分の3
=8分の9

となる。

つまり9:8が、完全5度と完全4度の音程差の比となることが分かる。従って、これが隣り合う音の音程差の比となる。ピタゴラス派は、この音程差を単位音程(トノス)として固定するんだ。

さかわの:
単位音程が、文字どおり基準となるということですね。単位音程であるトノスさえ決まれば、テトラコードの分割は出来そうですね。

KIN:
うん。完全4度の音程の間には、このトノスは2個とることができるね。そして残りが単位音程の半分よりやや少ない形で取られる。これがレイマ(残り)と呼ばれ、音程の差は

4:3÷9:8÷9:8

という式で表せる。つまり256:243の比だよ。これがピタゴラス音律でいう半音に対して充てられる比となる。
検算という訳じゃないけど、全てを掛け合わせてみると

8分の9×8分の9×243分の256=3分の4

となり、間違いなくド−ファという完全4度の比(4:3)となるね。
このようにして、ピタゴラス派のテトラコードの分割は完了するんだ。

さかわの:
単位音程はいわば全音、レイマ(残り)はいわば半音に相当しますから、これらに充てられる比が定まればテトラコードがつくれるし、そして音階全体もつくることができますね。
他方、アリストクセノスは、どのようにしてテトラコードを分割するのですか。

KIN:
基本的には、アリストクセノスも、オクターブ・完全5度そして完全4度を協和する音として考える点では違いはないんだ。
しかし、完全5度と完全4度の音程差をもって1とし、これを単位音程として固定してしまう。ここに数比の考えを使わない。 そして、半音は文字通り2分の1となり、完全4度は単位音程2個半分となる。完全5度は単位音程3個半、オクターブは単位音程5個と半音2個ということになる。

さかわの:
何だか、ものすごくシンプルにテトラコードを分割しましたね。テトラコードの分割がシンプルだから、完全5度やオクターブの音階の幅の決め方もすごくシンプルです。

KIN:
そのはずだよね。何しろ完全5度と完全4度の音程差を1として、その半分である半音を綺麗に2分の1にするということは、等分割をしていくという発想に他ならない。アリストクセノスの原理による音階論は、後のJ.S.バッハの平均律の考え方の先取りであったとも評価されているよ。

さかわの:
ピタゴラス派では、半音は単位音程2個をとったあとの「残り」という扱いで、充てられる比も243分の256というやや複雑な数値となりました。
それと比較すればアリストクセノスの方法は、とても明快です。
しかし、単位音程の決め方として、完全5度と完全4度の音程差をみて1とするとのことですが、それが確かに全音にあたるということを保証する何かがあるのか、という目でみるとどうなのでしょうか。

KIN:
たしかに、ピタゴラス派は完全5度と完全4度の音程差を比に基づいて計算して、8分の9という単位音程を導いたのに対し、アリストクセノスの場合、単位音程が確かに全音の大きさであることを保証するものは、感覚、特に聴覚による判断ということになるね。
ただし、注意が必要なのは、感覚による判断といってもそれは決して曖昧でいいとか、いい加減でいいという意味ではないんだ。
アリストテレスは「心とは何か」という本の中で、「感覚とは比である」といっている。彼は、感覚とは一種の比例形式のことで、感覚器官はそのような能力を含むものだと考える。だから、「聞こえることも一種の比でなければならない・・個々の音で度の過ぎたものは感覚を損なう」ということもいっているんだ。
アリストクセノスが単位音程を考えるときに数比計算を拒否し感覚に依拠したのも、師匠のアリストテレスの「感覚とは比である」という考えを前提にしていたからではないかと考えられるよ。

さかわの:
いったん、今までのお話をまとめてみます。

音階論に関して、ピタゴラス派は、宇宙の法則として把握した数比を適用しようというアプローチでした。これに対し、アリストクセノスは感覚の内なる比というものを前提とし、音階論でのピタゴラス派的数比アプローチを拒否した上で、単位音程や半音を足し算的に積み上げていくアプローチを採ったのでした。

こうやって整理しますと、冒頭で話題に出たラファエロの絵画に描かれたプラトンVSアリストテレスという両者の考え方の相違の影響が、直接・間接に古代ギリシャの音階論に反映しているのかなという感じがします。
天体の音楽を肯定するグループ(ピタゴラス派・プラトン)、天体の音楽を否定するグループ(アリストテレス・アリストクセノス)という対立の構図が、特にテトラコードの分割方法という局面で先鋭化して現れたように思います。


古代ギリシャ旋法と教会旋法

KIN:
そうやって枝別れする根っこの部分を押えると、理解しやすくなるね。

さて、テトラコードとその結合による音階について少し補足すると、古代ギリシャ人は、テトラコードの結合のバリエーションを駆使し、完全音組織をつくったとされているよ。 この完全音組織から、各オクターブを切り取っていくと7つの音階ができる。そして、7つそれぞれに各民族の名前をつけたんだ。ミクソリュディア、リューディア、プリギュア、ドーリア、ヒュポリューディア、ヒュポプリギュア、ヒュポドーリアの7種。 これが西洋最古の旋法といわれている。

さかわの:
旋法という新しい言葉が出てきました。念のため意味を確認しておきましょう。

KIN:
うん。
旋法はモードともいい、旋律の背後に働く音の力学であると言われている。
一般に旋法は音階を用いて記述されるので、音階と混同されがちだけれども、音階が単に音を音高により昇順あるいは降順に並べたものであるのに対し、旋法は主音などの一定の規定を含んでいるもので、旋法はいわば特殊化した音階、あるいは一般化した旋律として定義できる、という趣旨の説明がウィキペディアにはあるね。

それぞれの旋法によって 作られる旋律の雰囲気が変わるんだ。例えばアリストテレスは古代ギリシャ旋法について、プリギュア旋法は気持ちを熱狂的にする。これに対してドーリア旋法は、非常に落ち着いた気持ちにさせるので、年少者の教育にはいっそうふさわしいものであると述べているよ。
それに、ギリシャ音楽は基本的に単声的な旋律だったとされている。だから、演奏者にとっては旋法を選択することで曲の印象や表現のニュアンスを変化させるということも重要だったのではないかと推測されるね。

さかわの:
7つある旋法のうち、特にミクソリュディアというのは、かなり耳にしたことのある旋法の名称です。益楽男のアンサンブルトレーナー・もがさんが、「どちりなきりしたんW」の練習の際にミクソリディア旋法という言葉を使って説明をされたりしていますけど、この古代ギリシャの旋法と何か関係があるのでしょうか。

KIN:
いいポイントを尋ねてくれました(笑)。
結論から言うと、両者はまったく別物で類似関係もないのだそうだよ。 なぜ教会旋法に古代ギリシャ旋法の名称が使用されたのかというと、10世紀に何人かの理論家たちが、誤解に基づいて古代ギリシャの旋法体系の名称を結び付けてしまったからといわれている。

さかわの:
類似点はないのですか・・。もし関連していたら、今日のお話の内容が現在取り組んでいる合唱曲の理解に直結するので、喜んでしまうところだったのですが、残念です。
今日は、アリストクセノスの「ハルモニア原論」を中心にお話ししてきました。古代ギリシャ音楽論と一口にいっても、考え方は様々であり、後の時代の音楽の発展につながるような対立が現れてきていたんですね。

いよいよ次回は、古代ギリシャの枠からでて、さらに後の時代では天体の音楽がどのように考えられていったのかを見ていくことになりますね。

KIN:
天体の音楽の考えが、すごいものとの融合を果たす様子がテーマとなると思います。

さかわの:
すごいもの・・(笑)。
それが何かは、次回のお楽しみということですね。

【参考文献】

  • 千原英喜(著),『男声合唱のためのどちりなきりしたん』,全音楽譜出版社,2008年
  • 佐藤康邦,三嶋輝夫(編著),『西洋哲学の誕生』,放送大学教育振興会,2010年
  • D.J.グラウト/C.V.パリスカ(著),戸口幸策 他(共訳),『新西洋音楽史 上』,音楽之友社,1998年
  • 片桐功他(著),『増補改訂版はじめての音楽史』,音楽之友社,2009年
  • アリストテレス(著),池田康男(訳),『天について』,京都大学学術出版会,1997年
  • アリストテレス(著),高田三郎(訳),『ニコマコス倫理学(上)』,岩波書店,1971年
  • アリストテレス(著),山本光雄(訳),『政治学』,岩波書店,1961年
  • アリストテレス(著),桑子敏雄(訳),『心とは何か』,講談社,1999年
  • アリストクセノス/プトレマイオス(著),山本建郎(訳),『古代音楽論集』,京都大学学術出版会,2008年
  • 山本建郎(著),『ハルモニア原論の研究』,東海大学出版会,2001年
  • アタナシウス・キルヒャー(著),菊池賞(訳),『普遍音楽』,工作舎,2013年
  • 小方厚(著),『音律と音階の科学』,講談社,2007年

by KIN 2014/07/16 




inserted by FC2 system