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きりしたんの世界観〜変化する宗教〜

今回、益楽男グリークラブが演奏会で扱う「どちりなきりしたん」の歌われる世界には、戦国時代に伝来したキリスト教とその当時の日本の歴史が背景の一部になっています。そこでキリスト教と向き合った当時の日本人たちときりしたんについて少し掘り下げてみたいと思います。


1.宗教という生活慣習

まずキリスト教と関わりを考える前に、キリスト教というものをどのように捉えていくかを考えていきましょう。

今回はキリスト教という宗教を哲学ではなく生活慣習として提えていきます。生活慣習とはある社会の内部で歴史的に発達し、その社会に暮らす人達の広く承認されている行動様式のことを指します。例を上げるならば食前にいただきますと手を合わせてから食事を始めるといつたことです。 これは価値観であり、世界観ともいえますね。

日本人の世界観には神道を基礎にしたアニミズム、シャーマニズムの世界観があります。それを土台にしてキリスト教という文化に向き合い形を変えていく。

その土地で古くから信じられていた宗教が新しく伝わった宗教と激しくぶつかりあい、その衝突過程のなかでお互いに影響し合い、相手を変えるとともに自分も変わつていくという現象を接触と変容と呼ぶそうです。


2.接触 と変容

日本人の世界観には神道を基礎にしたアニミズムという説明をしましたが、「アニミズム」とは自然界のあらゆる事物は、具体的な形象をもつと同時に、それぞれ固有の霊魂や精霊などの霊的存在を有するとみなし、諸現象はその意思や働 きによるものとみなす信仰形態を指します。それは古く使われた道具に神性を感じたり、富士山を一つの信仰の母体にするようなことです。このような生活慣習としての宗教観を土台にして戦国時代の日本にキリスト教はやってきました。それらの接触と変容を見ることができるのが「どちりなきりしたん」の Iの歌詞です。

I以外の歌詞はどれも翻訳されたものですが、Iの原典の妙貞問答は、著者日本人修道士不千斎ハビアンによって書かれた護教書であり、日本人のフィルターを通して描き出されたキリスト教の世界でもあります。「はる、なつ、あき、ふゆと季節の中で花飛び、葉落ち、露行き、霜来る有様」といった歌詞は日本人が書いた言葉なのだなと感じます。「どちりなきりしたん」は我々が普段に使うことのない言葉で歌詞が作られていますが、これは個人と社会をつなぐ慣習という面から眺めていくとその当時の日本人の世界観や海を越えてきた宣教師たちの生活に密着した部分が見えてきます。 自分が歌う曲の世界観を概念やイメージにとどまらず、より身近な感覚として捉えていきたいです。

by 史吟 2016/03/16 


男声合唱のための「どちりなきりしたん」より T
作曲: 千原 英喜


演奏:益楽男グリークラブ




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