混声合唱のための
   「どちりなきりしたん」より T
    作曲: 千原 英喜

演奏:東京大学柏葉会合唱団

男声合唱のための
   「どちりなきりしたん」より T
    作曲: 千原 英喜

演奏:益楽男グリークラブ

国立国会図書館デジタルコレクションより
「破提宇子」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899748

Manuale ad Sacramenta
上智大学インターネット版「ラウレスキリシタン文庫データベース」より サカラメンタ提要 http://laures.cc.sophia.ac.jp/laures/pageview/id=JL-1605-KB30-29-24/

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『妙貞問答』とその周辺


1.目的
2.『妙貞問答』について
3.ハビアンについて
4.歌詞内容とその背景について
5.テキストと歌詞の異同について
6.『破提宇子』について
7.いくつかの疑問と仮説について
参考文献・サイト



1.目的

『どちりな』Tについて考えるための材料の提供



2.『妙貞問答』について

  • 1605 年(1549 年のキリスト教伝来から約半世紀後)に刊行された日本人による最初のキリシタン教理書。三巻本
  • 著者は日本人イルマン(修道士)不干斎ハビアン(後述)
  • 南蛮寺などに出入りできない、身分ある女性たちが、自分たちで読んでキリスト教を理解するために書かれた ※上流階級の女性は、頻繁に男(たとえ出家している男でも)に会うことはできないから
  • 登場人物 : キリシタンの尼・幽貞 / 浄土宗の妙秀
  • 形式 : 妙秀がキリスト教の教義について質問をし、幽貞が仏教・儒教・神道を批判しながらキリスト教の正しさを示す
    ※各宗教の記述には粗雑な点が多く見られるが、これは、一般に流布している教説を、いわば揚げ足を取る形で論破していると見ることもできる

各巻のあらすじ

◆上巻 : 仏教一般と各派の紹介と、キリシタンの教えによる論駁
批判の核心:仏教の宇宙観が荒唐無稽であり、後生の助けにならない

◆中巻 : 儒教・仏教・道教・神道の教義とキリシタンのそれとの比較
万物の根源に究極的作者(創造主)をもつキリスト教のほうが優れている
儒教(朱子学)の太極説 → 虚無から天地が生じるという不合理
神道の記紀神話 → 盲信するのは愚か

◆下巻 :  キリシタンの教えに傾きかけた妙秀に対して幽貞が教義を説き、疑問にも答える
どちりなTの日本語テキストはすべてここから取られている

【下巻目次】

  1. キリシタンの教えの大綱
  2. 現世安穏、後生善所の真の主一体在ますこと(神論:主に目的論的証明が用いられる)
  3. 後世に生き残るものをば「アニマ・ラショナル」ということ(霊魂論)
  4. 後生の善所は「ハライソ」といいて天にあり、
    悪所は「インヘルノ」といいて地中にあること(天国・地獄・天使論)
  5. 後生をば何とすれば扶かり、何とすれば扶からぬということ(原罪・贖罪・洗礼・十戒・救済論)
  6. キリシタンの教えにつき、いろいろ不審のこと(キリシタン日本乗っ取り陰謀論など)


 

同時代のキリシタン文献(『どちりなきりしたん』や『こんてむつすむんぢ』など)が翻訳・翻案であるのに対して、『妙貞問答』は日本人の手になる初めての護教書と言われ、ハビアンの独創的な書物とされてきたが、近年の研究で、 キリシタン時代の教理解説の順序をきちんと踏まえたものであることが分かった

(『問答』の発想法や解説の順序は、1960 年にポルトガル・エヴォラ図書館の古屏風の内張りから発見された『日本のカテキズモ〔カテキズモとは基本的な教えの要約書のこと〕』(1581)とほぼ同じである。さらに、1581 年以降に日本で行なわれたセミナリオ(イエズス会の初等教育機関)の教育は、このカテキズモに基づいていた。 それゆえハビアンも、そうした基盤と伝統の上に本書を著したと考えられる。ちなみに、 この『日本のカテキズモ』は、ローマの教理問答にもとづいて書かれた 『どちりなきりしたん』とは別系統の教理書の系譜に属するものであり、この点も興味深い)


著者の評価

罵言・冷評・こじつけが多いが、論理と科学性において徹底=自然神学的な特色
支配的伝統思想に対して自由で果敢な批判= 合理的・批判的精神
日本思想史上最も見るべきものの少ない安土・桃山時代において最も注目すべき書



3.ハビアンについて

歴史の中の一雫〜不干斎ハビアンも参照

  • 1565?〜1621?
  • Fucan Fabian。不干斎巴鼻庵、梅庵、ハピアンとも
  • 加賀の生まれ。京都の禅寺に入り修行僧となるが、1583 年受洗、86 年イエズス会士、93 年イルマン(修道士)となる(この辺の年代はすべて推定)
  • 1605 年『妙貞問答』を著す
  • 1606 年、儒学者 林羅山(1583〜1657)と論争(この時代には、各宗教が宗論を戦わせ、たがいの正邪を決する機会がしばしばあった)。羅山曰く「〔『妙貞問答』には〕一つとして観るべきものなく、みだりに叫騒罵言、蚊虻(ぶんぼう)の前を過ぎるが如し」(「排耶蘇」『日本思想体系25』415 頁)
  • 1607〜8 年頃に棄教
    その理由:本人の宗教信仰の主体的把握が不徹底・幕府による圧力・南蛮寺の運営をめぐって外国人司祭と衝突などが挙げられているが真相は不明
  • 1620 年頃に『破提宇子』を著し、将軍徳川秀忠に献上



4.歌詞内容とその背景について

出典:『妙貞問答』下巻(頁数は筑摩版の海老沢訳)

「現世安穏、後生善所の真の主一体在ます事」より

@ 1 行目(ありとせ)〜4 行目(叶わず):40 頁
A 5 行目(見給え)〜17 行目(示され候):43 頁 ※途中に若干の省略がある
B 19 行目(下に万機の)〜22 行目(在します為なり)43 頁 ※AとBとの間には一文しかない

跋文より ※ 跋文では著者の執筆動機が述べられている

C 25 行目(真の御主)〜26 行目(仰ぎ奉る):99-100 頁



歌詞の内容

@〜Bでは、目的論的証明によって神の存在が明らかにされる
要点は、「世界がこんなに素晴らしいのは神がいるからだ!」ということ

目的論的証明(デザイン論証・自然神学的証明とも)⇒ 被造物の精妙さは神の仕業
  1. 世界は極めて複雑・精妙・壮大な秩序と組織から成り立っている
     ex. 太陽や星の運行、植物の花や葉や枝のつくり、動物の身体の構造、これらの相互連関など、あらゆる存在者がそれぞれの目的に合わせて精巧に創られている
  2. このような複雑な世界が、自然に発生したとは考えられない
    「人知を超越した何者か」がこの世界を創造したのだと考えなければ説明がつかない
  3. その「何者か」とは神にほかならない
    自然界をこれほど見事に設計し運営するのは、並みの存在者には不可能だから
  4. よって神は存在する
    神はすべての被造物に刻印を残し、自分が制作者であることを教えてくれている
     cf. 『新約』「ローマの信徒への手紙」第1 章20
    「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」(下線は引用者による)

【補足】目的論的証明に似ているけど異なる存在証明

宇宙論的証明 ⇒ 宇宙が存在するという事実から出発して、一番始めの原因(=神)へと遡る
  1. すべての事物には原因と結果が存在する
    これは原因や結果の概念が何であるかを考えれば、必然的に妥当な命題
  2. ところで、宇宙には運動している物体がある
    物体が運動するにはその原因がなければならない
    そこで、原因となった出来事を考えると、この出来事にもまた原因がなければならない
  3. こうして、原因の原因の、そのまた原因……と辿ってゆくと、最終的に、それ以上さかのぼることのできない究極的な原因に辿りつく
  4. この究極原因とは神である
  5. よって神は存在する


神の存在を論じることの重要性

  • 日本における一神教的な「神」観念の欠如
    ⇒ 正しさを納得させる証明の必要性(イエズス会の巡察史ヴァリニャーノたちは神の摂理を体現するものとして天文学や数学を援用しながら日本人の説得をはかった)
    ※当時、日本以外の地域(インド、東南アジア、中国など)での布教にも同じ課題があったのだろうか?


当時の状況(清水『日本思想全史』184-201 頁を参照)

  • キリシタンは1590 年代から急速に勢力を伸ばす
    → 巡察史ヴァリニャーノによる、伝統の過度な否定を是正する布教姿勢も奏功
  • 個人的な宗教選択は比較的自由だった → ザビエル書簡
  • 養方軒パウロ:若狭出身の医者で、キリシタン文献・聖人伝などの翻訳や編集にあたった
  • キリスト教の「神」の呼称の問題
  • → 一神教の神≠日本の土着の神々
     ザビエル(初期):大日如来の「大日」/ 平信徒:「天道」「天主」
     1590 年代(書籍印刷が始まる時期)には原語Deus(羅)で統一

    ⇒ キリスト教の伝来の意味
    1. 日本の宗教的伝統と新しい異教の宗教性との、比較文化的・比較思想的な接触あるいは対決
    2. 新たな世界観の受容
    3. 西洋の人文的教養(天文学、医学、芸術など)の導入
      ex. キリスト教伝来以前になくなった近親者の救済の可能性
      → 民衆は望む / 宣教師トーレスは認めない
       霊魂の不滅について:1569 年、信長の面前で、フロイス(宣教師)・ロレンソ了斎(初の日本人イルマン)・日乗上人(日蓮宗)の討論
      → 彼岸的信仰の薄れ、迷信の排除という傾向
       「日本人は霊魂不滅には反対であるらしい」(フロイス)
       宣教師が最初接触したのが、空の哲学を信奉する禅僧だったことが影響か(和辻)


この時代に関する文献

  • ヴァリニャーノ『日本巡察記 東洋文庫 229』松田毅一訳、平凡社、1973 年
  • ゲオルク・シュールハンマー『イエズス会宣教師が見た日本の神々』安田一郎訳、青土社、2007 年
  • ルイス・フロイス『日本史 キリシタン伝来のころ 東洋文庫』全5 巻、柳谷武夫訳、平凡社、1963-70 年(ドイツ語訳からの重訳) / 『完訳フロイス日本史』全12 巻、松田毅一・川崎桃太訳、中公文庫、2000 年
  • 和辻哲郎『日本倫理思想史』全4 巻、岩波文庫、2011-2年
  • 林羅山「排耶蘇」、『日本思想体系25 キリシタン書 排耶書』海老沢有道他校注、岩波書店、1970 年、413-7 頁
  • 五野井隆史『日本キリスト教史』、吉川弘文館、1990 年


5.テキストと歌詞の異同について

※意味内容はおおむね同じだが、文脈や文法を軽視したテキストの改変と意訳がある

A 14〜17 行目
【歌詞】
春、夏、秋、冬と、移り変われば、
花飛び、葉落ち、露行き、霜来る有り様、
いにしえにわたり違わざれば
キリシタンの教え、天地の間に示され候。
【原文】
春夏秋冬と移替れば、……花飛び葉をち、露ゆき
来る有りさま、
いにしえに渡り今に渡て違はざるをば、キリシタンの教へには天地の間の矩(のり)ぞとこれを示されさふらふ。
【千原訳】
かようのあり様、昔から今に至るまで変わることなく続いておじゃれば、
げに切支丹の教えの正しきこと、天地の間に示されておるのでござる
【海老沢訳】
……有様は、昔から今に渡って狂うことがないことを、

キリシタンの教えでは、これは天地の間にある法則であると示されています
〔しかるに法則というものには作者が必要だ。その作者とは神だ、と続いている〕

C 25〜26 行目
【歌詞】
真の御主デウスの世に崇められたもうべき事、
当来生天の結縁を仰ぎ奉る。
【原文】
才の短きをもかへりみず、唯真の御主Ds の世にあがめられ玉ふべき事のみを希て、偏に身の嘲りを忘れ畢。是併当来生天の結縁をあふぎ奉るが為也
【千原訳】
さるほどに、真の御主デウスの世に崇め奉られまするは道理にておじゃる



必ずや来世において、天に生まれることの願いの叶えられますよう、我ら、御主を仰ぎ奉りましょうぞ
【海老沢訳】
〔このような書物を書いたのはなぜかと言えば、私の文章はとても拙いのに〕才能が足りないことをもかまわずに、ただまことの御主デウスが世に尊崇せられ給うべきことだけを願って、ひたすら自分が嘲られるのも忘れてしまっております。
これ[=『問答』という書物を書いた目的]は併せて、来世にあって天に生まれるための因縁を〔私が〕与えられるよう祈り仰ぎ奉るためであります


6.『破提宇子』について

  • 1620 年刊行。まとまった反キリシタン書としては最初のもの。「提宇子(デウス)を論破する」の意
  • 内容がほかの排耶書(はいやしょ)より正確であったことから、ハビアンのキリスト教理解は(当時としては)かなり高かったと思われる
  • 後年の排耶書に素材・影響を与えたが、著者の思想的・宗教的発展は見られない。総じて、ハビアンの論述には宗教的体験にもとづく積極的な信仰の把握がなく、口先だけで証明・論駁をしている
    ⇒ 宗教的人間になりきれなかった人間の限界(海老沢による解説)
  • 構成は、キリシタンの教えを7 段(神の存在や霊魂の不滅、処女降誕など)に分け、最初にキリスト教の教義を述べ、そのうえで仏教・神道・儒教を用いてそれを批判するという形式
    ※しかしイエスの受難と復活・最後の審判・三位一体論など、重要な問題が扱われていない
  • 用いられる論法は『妙貞問答』の裏返しであり、かつて批判したことを今度は論拠とし、かつて根 拠として挙げたものを今度は批判する
    ex. 『問答』:世界の存在から神の存在を証明(目的論的証明)
    『破提宇子』:そういう証明は道教や神道などでも用いられており、キリスト教の専売特許ではない ※しかしこれは反駁になっていない。ほかの宗教でも目的論的証明が認められているのだから、むしろ、神の存在は補強されることになる


7.いくつかの疑問と仮説について

原文変更の理由は何か

→ 単なる作曲上の理由か。楽譜61 頁に変更の断り書きはあるが


日本語箇所と「Veni Creator」との関係は?

※多分に思いつき・妄想が含まれますので、眉に唾して聞いてください

【小池さん】表現効果の重層化:西欧と日本との二層による「架空のキリシタン信仰世界」の構築
※この「重層化」というアイディアをより具体的にするための仮説が以下のものである

【仮説】ラテン語:民衆の信仰・願望(宗教の内実) / 日本語:それに理論的基礎を与える論証
一般信徒たちによっても広く歌われた「Veni Creator」の呼びかけ(創造主よ、来てください)に対して、創造主が存在することを証明する(ちゃんといるから安心しろ)のが『問答』の役割
歌詞の並び順もそれを裏書きしているように見える

A17 行目「キリシタンの教えの正しさが天地のあいだに示されている(だから神も存在する)」
 → 18 行目「じゃあ、存在することが分かったのだから、神様早く来てください」

B19〜22 行目と23〜24 行目も同様の関係
あるいは、『問答』における理論に、民衆の素朴で切実な信仰という具体的内容を充填したとも言えるかもしれない


→ これら二つの方向を合わせると、『問答』がもっている自然神学的性格(自然の光=理性)と、Veni Creator がもっている素直な信仰(恩寵の光=啓示)との相補関係が成り立っているように思われる



組曲全体のなかでTはどのような性格をもつのか?=組曲のテキスト的構造は?

【仮説】組曲『どちりなきりしたん』は、キリスト教徒の宗教生活の行程(証明→教義→実践→感謝)を表わす
 そのなかでもTは理論的に最重要であり、Tが成功しないと、残る4 曲は基礎を失う

[宗教生活の行程]

T: まず、神の存在を証明する
(U:省略)

V: 次に、教義を説く

W: そのうえで、教えの実践(=キリストの行いに倣おう)に移行する
 ※Wのテキスト:トマス・ア・ケンピス『キリストに倣いて』(ざびゑるさんのレジュメを参照)

X: 最後に、キリストがわれわれの罪を贖ってくれたことに感謝する(めでたし真の御身体)


→ この行程において、もし神の存在証明(T)が成功しなければ、民衆の呼びかけ(Veni Creator)はその対象を失う
さらに、キリスト教の教義(V)も、存在しないものについての空虚な教えになる イエス(W)も神の子ではなく、ただの大工の息子になる
最後に、原罪がなくなる(罪とは神の意志に背くことだが、当の神が存在しないから)ので、贖罪も当然無意味になる(X)


⇒ したがって、大袈裟に言えば、組曲『どちりなきりしたん』は、キリシタンの信仰・実践の全体が、神の存在を証明できるかに依存するという構成になっている(つまり、作曲者がこのような順序でテキストを配置したのには、こういう意図があったからかもしれない、ということ)
 それゆえ、その証明を提供している『妙貞問答』は、組曲全体の理論的核心である



『問答』と『どちりなきりしたん』との関係はいかなるものか?

刊行年(1605 / 1591)、元となった教理書間の違い、内容の相違、作曲者の意図、など
(※海老沢有道・松田毅一『ポルトガル エヴォラ新出屏風文書の研究』(ナツメ社、1963 年)が参考になるか)



【参考文献・サイト】

    テキスト
  • 海老沢有道校訂・訳・注「妙貞問答・破提宇子」、『切支丹・蘭学集 日本の思想16』杉浦明平編、筑摩書房、1970 年所収.

  • 合唱曲としての『どちりな』の解説
  • 「混声合唱のための「どちりなきりしたん」T 裏辺研究所」
    http://www.uraken.net/urabe/music/Doctrina Christam 1 Chihara Hideki.html
  • 「千原英喜『どちりなきりしたん』 たけちゃんのホームページ」
    http://www.collegium.or.jp/~take/christi/dochirina.html

  • 目的論的証明と宇宙論的証明のまとめ
  • ナイジェル・ウォーバートン『哲学の基礎』、栗原泉訳、講談社、2010 年、26-35 頁.
  • Wikipedia の「神の存在証明」 http://ja.wikipedia.org/wiki/神の存在証明
  • ニコニコ大百科の「神の存在証明」 http://dic.nicovideo.jp/a/神の存在証明

  • 『妙貞問答』『破提宇子』の内容、ハビアンの伝記など
  • 清水正之『日本思想全史』ちくま新書、2014 年、196-9頁
  • 野崎茂「『破提宇子』解題」、『日本哲学思想全書 第10巻 神道篇・キリスト教篇』、平凡社、1980 年第二版、129-35 頁.
  • 海老沢有道「妙貞問答・破提宇子解説」、『日本思想体系25 キリシタン書 排耶書』、海老沢有道他校注、岩波書店、1970 年、614-5, 637-8 頁.
  • 海老沢有道「妙貞問答・破提宇子 解説」『南蛮寺興廃記・妙貞問答 東洋文庫14』、平凡社、1964 年、113-9,275-9 頁

by OMY 2015/02/12 





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