「今でも…ローセキは魔法の杖」を考える
「今でも…ローセキは魔法の杖」とは
「今でも…ローセキは魔法の杖」とは、遠藤雅夫作曲の合唱組曲である。1978年明治大学グリークラブから委嘱された男声合唱組曲として誕生し、同年4月、六連で初演される。その後、短縮や改訂、混声版へ編曲などを経ながら合唱ファンに愛されてきた知る人ぞ知る名曲である。 そして、2000年8月にChorus Score Clubから楽譜が出版された。
演奏:益楽男グリークラブ
平成27年8月2日彩の国男声コーラスフェスティバル2015
ローセキ研究会の発足
前回のどちりな研究会に続き、この合唱曲の5曲目「深い眠りに包まれて」を演奏するにあたり、再び益楽男屈指の理論派たちが立ち上がる。
以下、研究員たちのレジュメを紹介する。
1.遠藤雅夫の音楽(準備中)
研究員:小池
2.柴野利彦と「今でも.… ローセキは魔法の杖」の詩の成立の経緯
研究員:史吟
作詞者である柴野利彦さんは、実は詩人ではない。カメラマン兼ライターとして仕事をされている。その柴野さんが詩を書いたときのエピソード。
カメラマン・ライター〜柴野利彦(フリーランサー)(外部サイト)
3.詩と押韻について
研究員:KIN
そもそも詩とは何であるか。ショーペンハウアーの哲学から芸術としての詩、詩と音楽の関係性について理解を深める。また、「深い眠りに包まれて」で多用されている音韻について、九鬼周造の日本詩の押韻論を参照する。
4.「深い眠りに包まれて」解説
研究員:吉岡
「深い眠りに包まれて」の構造を分析。調性や旋律の変奏から曲想を考える。
5.深い眠りに包まれて〜楽曲分析〜 【鋭意執筆中】
研究員:下河原建太
「深い眠りに包まれて」で使われている調性、転調、和音を分析し、曲想を考える。
【まとめ】今でも…ローセキは魔法の杖 研究会まとめin益楽男合宿
研究員:さぶれ
1〜5の研究員のレジュメをもとに、冬合宿でまとめ発表をしました。
深い眠りに包まれて 楽曲構造分析まとめ
研究員:KIN
楽曲の構造を整理分析し、音楽様式・作曲技法・楽式について考える。
だれでも持っている透明なローセキ
「郷愁」とはなんだろう。「故郷を懐かしく思う気持ち」「ノスタルジア」などの言葉が浮かぶだろうか。
では、故郷とは?
先日、私が勤めている老人福祉施設で声楽独唱コンサートがあった。最後に、全員で「故郷」を歌った。その日、独唱で力強い歌声を披露してくれた77歳だというボランティアの方がこう言葉を添えた。
「みなさんには故郷はありますか?私にはここが故郷だというものがありません。でも最近、ここが故郷かもしれないと思えるところがいくつかできてきました。」と。
なんとも不思議で面白い言葉だと思った。そして妙に納得した。
絵に描いたような故郷を誰しもが持っているだろうか。いや、持っていないだろう。「昔はよかったなぁ」と思える故郷があれば幸せなほうだ。
子供のころに、ローセキで遊んだ記憶はありますか?懐かしいと思う故郷はありますか?
「今でも…ローセキは魔法の杖」という組曲のなかで、こんな歌詞がある。
”時間が、動き出す。
何も書きこまれていない余白に、だれでも持っている透明なローセキで、どこまでもどこまでも…”
ではもう一度、誰でも思い起こすことのできる「故郷」とは?と問うてみよう。
それこそが、5曲目の「深い眠りに包まれて」で繰り返し歌われている ”だれにも邪魔されない〜だれも知らない場所” ”だれにも脅されない〜だれも触れない場所” なのだ。
ゆりかごのように繰り返されるそのフレーズは、まるで、何も知らない赤子がゆりかごの中で安心して眠っているさまを表しているようである。その時、その赤子にはキラキラと光る真っ白なキャンパスが用意されていたはずである。
もし、今あなたが音楽を聴いて、一瞬でも心が安らぎ、絶望から少しでも希望を持つことができたなら、そこがあなたにとっての「故郷」なのではないか。
音楽に触れている瞬間にこそ、私たちは誰でも「郷愁」に触れることができる。そして、再び愛をしっかりと抱くことができる。
だれでも持っている透明なローセキは、今でも…魔法の杖なのだ!
前に掲載したローセキ研究員たちのコラムを読みながら、こんな考えに思いを馳せてみた。
(でんで)
by ローセキ研究会 2015/01/16 Tweet