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Vol.1 合唱対話篇

第13回 時空を超える合唱史の旅(3)―グレゴリオ聖歌「どちりなきりしたん」解釈のヒント―

グレゴリオ聖歌とは

熱血漢:
今日は、グレゴリオ聖歌(1)の歴史についての話だね。
そもそもグレゴリオ聖歌とは何のことなのか、最初に定義を明確にしておこう。

歴史派:
グレゴリオ聖歌とは、キリスト教西方教会のうち、ローマ・カトリック教会の典礼において、男声によってラテン語で歌われる無伴奏かつ単旋律の声楽音楽のことだよ。

名称は、6世紀末に活躍したローマ教皇グレゴリウス一世に由来する。ただし、今日の研究によると、グレゴリオ聖歌は8世紀〜9世紀に迄しか遡ることはできない。そして、そのレパートリーの多くは11世紀〜13世紀に成立したと見られている(2)


歴史的な背景について

歴史派:
グレゴリオ聖歌について理解するには、まず歴史的な背景を押えることが有益だと思うよ。

キリスト教は、ギリシャを経てローマに伝えられ、さらにヨーロッパ各地へと伝播していく。そこで、共通の言語としてラテン語を用いた。例えば、教父ヒエロニムス(340頃〜420)によるラテン語訳旧・新約聖書(通称ウルガタ)が、長くカトリック教会の公式聖書として扱われたことはよく知られているね。

理論派:
ヒエロニムスは、ヘブライ、ギリシャ、ラテンのあらゆる古典に精通し、それはアウグスティヌスをも凌ぐといわれる。東方ギリシャ教父の伝統をラテン世界に導入する点での貢献は非常に大きかった(3)

歴史派:
そして、キリスト教の伝播は、遅くとも5世紀にはアイルランドにまで達する。それ以降、7世紀にかけてアイルランド出身の修道士の精力的な宣教活動が目立つようになり、「全ヨーロッパをひとつに」がローマ教会の目標になっていったといわれる。
その目標を達するため、教会の典礼と聖歌の統一が目指されるようになり、ローマ教皇公認の典礼と聖歌を定めようという動きが出てくる。それを率先したのがグレゴリウス一世だと伝説的にいわれてきた。
その後、8世紀から9世紀にかけてローマ式の典礼と聖歌がいよいよヨーロッパに広まる。その背景にあったのは、フランク王国がヨーロッパ中心部を平定していたことだった。ピピン三世(在位751〜768)は、全ヨーロッパの統一のためにローマ教会の力も必要だと考え、ガリア聖歌を廃止しローマ聖歌を普及させるなどしてローマ教皇に協力した。カール大帝(在位768〜814)は、その方針を更に徹底した。それらを受け、ローマ教会もカール大帝に西ローマ帝国皇帝の称号を与えたんだ。

この他、ベネディクト派修道士たちの音楽教育と布教にも多くを負いつつ、グレゴリオ聖歌は、10世紀になって最終的な形で落ち着いていく。ただし、その後もレパートリーを追加したりして、流動的に発展していくし、地方的な要素も結構存在するんだ。

なお、イベリア半島のモサラべ聖歌の伝統は根強く、11世紀後半にやっとグレゴリオ聖歌を歌う方式になった(4)。モサラベ聖歌の旋律は保存されているものの、訳譜が不可能なため再現ができないといわれる(ただし、一部の修道院ではモサラベ聖歌を歌う伝統が残った。今日、CD音源でもモサラベ聖歌を聴くことはできる(5))。

熱血漢:
ふーむ、なるほど。いろいろな経緯が背景にあり、それが合い俟ってグレゴリオ聖歌が成立していったんだね。


教会旋法について

熱血漢:
グレゴリオ聖歌の特徴としては、どんな点を挙げることができるの?

歴史派:
冒頭でも述べた通り、グレゴリオ聖歌の音楽は、ハーモニーも対旋律もない単旋律であって、無伴奏のユニゾンとして歌われるよ(例外的に楽器の伴奏が付される場合もオルガンのみ)。

音階は教会旋法という特殊な音階によっている。教会旋法は、第1旋法から第8旋法までの8通りのタイプがある。

この点、すこし噛み砕いて説明するね。
われわれが普段聴いている音楽の多くは、基本的にドレミファソラシドの音階を使用している。これに対して、中世の音楽には、まだドレミファソラシドの音階はほとんど使われていなかったといわれる。つまり、グレゴリオ聖歌は主にド以外の音から始まる音階で作られている。例えば、レから始まる音階はドリア旋法と呼ばれ、ソから始まる音階はミクソリディア旋法、ラから始まるのはエオリア旋法といわれる。グレゴリオ聖歌で特に頻繁に用いられるのはドリア旋法とエオリア旋法だった。これら教会旋法は、浮遊感を表現するのに非常に適しているといわれているんだ(6)

熱血漢:
うーむ。なるほど。


リズムについて

歴史派:
グレゴリオ聖歌のリズムについては皆川達夫先生が次のように述べておられる。

「リズムも近代的な拍節リズム、つまりアクセントが規則的、周期的にくり返されていくものではなく、日本の民謡に近い無拍節リズムによっている。個々の音符の長さも、長短の区別のない非計量リズムによっており、そのため聞く者に軽やかに無限に浮遊する印象をあたえることになる。」(7)

熱血漢:
たしかに、グレゴリオ聖歌を聴くと、フワフワとした不思議な感じがする。これは、リズムの点も大きいのだろうね。


グレゴリオ聖歌の響きについて

歴史派:
さらに、グレゴリオ聖歌の響きについては、岡田暁生先生が次のような解説をしている。

「グレゴリオ聖歌の響きには、いわば非常に非感覚的なところがあります。…こうしたある種の抽象性のようなものは…いわば神秘的な非物質性を目指しているといえばいいかもしれません。それは、現世に生きる、この世に生きる人間の楽しみや感情の表現であるというよりは、神の国からの啓示、あるいは何かこの世ならぬものの象徴だったという風に考えることもできるでしょう。」(8)

さらに、この点につき皆川先生は次のように述べておられる。

「グレゴリオ聖歌…の流動的な旋律はじつに美しいものです。きえいるように旋律がしずんでゆくと、またうかびあがり、たゆたい、波うちながら、無限に流れていきます。まさに天使の音楽という以外に、その美しさのたとえようがありません。」(9)


中世の音楽観について

歴史派:
グレゴリオ聖歌を含む中世音楽全般については、岡田先生が次のようにまとめておられるから注目したいね。

「一体、中世の音楽が目指したものは何だったのでしょうか。中世音楽において何より重要だったと考えられるのは、いわば超越的な秩序との関連であります。それは人間が聴く音楽というよりむしろ、神の国で鳴り響く音楽の似姿であり、神の造った世界の秩序のシンボルであり、あるいは神への捧げものだったと考えるべきなのでありましょう。」(10)

熱血漢:
確かに、グレゴリオ聖歌を聴いていると、とても静謐な気持ちになるというか、独特の響きに引き込まれて聴き入ってしまうような不思議な感じがする。
その理由は、その教会旋法と無拍節リズムにあった。そして、より根本的には、人間の感情表現よりも神の国で響いている音楽を表現しようとする、西洋中世の基本的な音楽観の影響があったのだね。


グレゴリオ聖歌を聴いてみよう

歴史派:
では、実際にグレゴリオ聖歌を聴いてみよう。
曲は、キリエ(11世紀のもの)です(11)



歴史派:
歌い方については、皆川先生が詳しい解説を書かれている。

「一切のアクセントや不自然な力をつけないで、レガートで流れるように歌ってください。声は七分目くらいに出して、どならないように。くぐもった声、りきんだ声、ヴィヴラ−ト、ポルタメント、わざとらしい強弱、音程をしゃくりあげることなど、一切禁物です。要するに、グレゴリオ聖歌は祈りのための音楽で、のど自慢の歌ではないのですから自然にやわらかく、つつしみの念を持って歌うことが、大切です」(12)

とのことだよ。


グレゴリオ聖歌が採り入れられた作品の歌い方は?

熱血漢:
なるほど。すごい説得力。
でも、千原英喜作曲「男声合唱のための『どちりなきりしたん』」の中の作品のように、作品の一部にグレゴリオ聖歌の編曲や、創作部分を付加したものが含まれて、全体として新しい曲になっているものもあるよね。こういう曲については、どう歌えばいいのかな。

理論派:
基本的には、作曲家が譜面上で指示している内容に留意して歌うのがいいと思うね。ただ、作曲家は、グレゴリオ聖歌のごく一般的な知識(中世から現代に至るまでどのように歌われてきたのか)については、それを歌い手が持っていることは前提にして作品をつくっている可能性もあるかと思う。少なくとも、オリジナルのグレゴリオ聖歌と新しく創作されている作品との異同をチェックしてみて、作曲家の意図を考えてみようとトライすることは有益ではないかと思われるね。

歴史派:
違った見方をすれば、グレゴリオ聖歌というオリジナルの楽曲がある個所は、歌い手にとって作品理解のための大きなヒントが与えられているともいえるわけだね。思えば、これはとてもありがたいことともいえる。

ただ、一つ注意が必要と思われる点がある。
「どちりなきりしたん」にしても「おらしょ」にしても、室町末期以降、日本に伝来し根付いたきりしたん音楽は、それを伝えた宣教師たちの出身地がイベリア半島であったという事情がある。つまり、彼らがローマ・カトリック式のグレゴリオ聖歌を、そのままきりしたんに伝えたのかどうかは、考慮すべき点となり得るのではないかな。

理論派:
11世紀後期までイベリア半島で根強い伝統を誇ったモサラベ聖歌に関しては、先ほど歴史派くんが言及していたとおりだね。今日のCD音源でモサラベ聖歌を聴くと、拍子感も旋律もグレゴリオ聖歌とはだいぶ印象が違う。モサラベ聖歌は、拍子もかなりくっきりしていて旋律の動きも結構激しい。響きの印象は、グレゴリオ聖歌に近い部分ももちろんあるけど、東方諸教会聖歌の要素が一部含まれているように聴こえなくもない。もちろん、現代にいたるまでの間に様々な変化に晒されてきたのだろうけども、イベリア半島に伝統的に残った聖歌の一つの形ということで参考にはなるね。

歴史派:
イベリア半島ときりしたん音楽という点では、皆川先生の執念の研究も存在する。
すなわち、長崎県平戸市にある生月島(いきつきしま)の三つの歌オラショのうち、『ぐるりよざ』について「…原曲となった聖歌『オ・グロリオザ・ドミナ O gloriosa Domina (栄光の聖母よ)』…は、現在なお世界中に流布している標準的な聖歌ではなく、十六世紀のスペインの一地方だけで歌われていた特殊なローカル聖歌であった」ということが、13年間に及ぶ研究の末に突き止められている (13)

宣教師たちは、ローマ・カトリック式のグレゴリオ聖歌だけではなく、スペインのローカルな聖歌もきりしたんに伝えていた。とすれば、グレゴリオ聖歌についても多少イベリア風に変化した形で伝えられた可能性も考えられるのではないかな。この点は、まだ調べるべき資料があるので、研究課題としたいね。

熱血漢:
なるほど。
いずれにしても、ラテン語歌詞のグレゴリオ聖歌の箇所は、予備知識がないと歌い方のイメージが湧きにくいよね。だから、まずはオリジナルのローマ・カトリック式のグレゴリオ聖歌の歌い方を参考にしつつ、イベリアのモサラベ聖歌などの音源資料も参照することから始めるのが一番オーソドックスな方法なのかもしれないね。


オルガヌムの誕生

熱血漢:
なんだか前よりは、だいぶグレゴリオ聖歌について理解できた気がするよ。

歴史派:
よかった、よかった。
では、今度は、グレゴリオ聖歌を基にして中世の音楽が発展していった様子を見よう。

西方教会は、6世紀頃までには古代と東方の音楽から取り入れることのできたものをほとんどすべて吸収して適応させていたといわれる(14)。この遺産の上に、多声的な音楽が作られていくことになるんだ。

熱血漢:
多声音楽。いよいよだね。

理論派:
熱血漢くん、えらい興奮のしようだね。

歴史派:
9世紀頃から、グレゴリオ聖歌に変化が訪れる。単旋律の斉唱であったグレゴリオ聖歌に、もうひとつの声部を重ねて2声で歌われるようになるんだ。

聖歌の旋律を歌う際に対旋律を付けて、複数の旋律を同時に歌うことは、オルガヌムといわれる。このオルガヌムは、単旋律のグレゴリオ聖歌をアレンジした一種の編曲として生まれた現存最古のポリフォニー音楽だよ。

熱血漢:
ポリフォニーという言葉は、どういう意味なのかを確認したいな。

理論派:
うん。
定義は難しいといわれているけど、ポリフォニーとは、複数のメロディーラインがそれぞれの独立性を保ちながら構成的に組み合わされる音楽であるということになるようだね。だから、複数の声部が存在していても、単に3度とか、4度上でずっと平行してくっ付いてハモっているだけのものは、ポリフォニーとはいえない(15)

歴史派:
では、ここで12世紀のオルガヌムを聴いてみよう。
「まことの光」という聖マルシャル楽派による楽曲だよ(16)



熱血漢:
これがオルガヌム。歴史の重みを感じざるを得ないね。

歴史派:
現存する最古のオルガヌムは、9世紀頃に執筆された「ムジカ・エンキリアディス(音楽要提)」に収められた曲だよ。でも、これは理論の紹介のために単純化されたものではないかという指摘もある。
初期オルガヌムの資料は大変に少ないのだけど、12世紀になるとオルガヌムの楽譜も充実してくる。「まことの光」は、皆川先生がパリの国立図書館までいかれ手写本から直接解読してこられた曲だよ。

熱血漢:
皆川先生の情熱には本当に頭が下がります。


古代ギリシャ音楽のオルガヌムへの影響

理論派:
ところで、この「時空を超える合唱史の旅」の研究動機の一つに、古代ギリシャ以来の音楽理論が、どのような形で合唱音楽に影響してきたのかをできるだけ明らかにして、合唱音楽の歴史的な連続性を認識できないか探求するという点がある。

熱血漢:
うん。それは気になるね。
オルガヌムに関して古代ギリシャ音楽理論の影響はあったの?

理論派:
その点は、田村和紀夫先生が著書の中でグロケイオ(1300年頃)の本を引用しているよ。グロケイオいわく、

「…崇高なる万物の創造主は、世の始めから音ではハルモニアに3の完全性を与えたもうたのである。…まず母に相当するものとして、第1のハルモニアがあり、それは古代からディアパッソン(完全8度)と呼ばれてきた。続いて娘に相当するものとして、前者に含まれている第2のハルモニアがあり、それはディアペンテ(完全5度)と呼ばれてきた。さらに前の二つから生じる第3のハルモニアがあり、それはディアテサロン(完全4度)と名づけられてきた。これら3つは同種のものとされ、最も完全な協和音を生み出すのである。ピュタゴラス派の一部の人々は、おそらくはこのことを直観していたのだろう…」(17)

熱血漢:
確か、ピタゴラス派は、完全4度、完全5度、完全8度を協和音程としていたよね。ということは、中世のオルガヌムはピタゴラス派が協和音程としたものでポリフォニーを造ったんだ。

理論派:
そう。もちろん、3度や6度の音程が経過的な音として使われることはあったのだけど、曲の終わりなど重要な箇所で使えるのは、完全4度、完全5度、完全8度のみだった(18)。古代ギリシャのハルモニア論は、そのような形で中世のオルガヌムを特徴付けたのだね。
そして、それはルネサンス期にイギリス人の作曲家、特にダンスタブル(1390頃〜1453)の先導によってイギリス音楽が大陸にもたらされ、3度を協和音程として用いるようになるまで続くよ(19)


記譜法の発展とオルガヌム

熱血漢:
オルガヌムの誕生は、まさに多声部で行う合唱の始まりともいっていいのだろうね。もちろん「再現可能な現存最古の」という但し書きはつくのだとは思うのだけど。

理論派:
そうだね。特に中世は記譜法の点でも著しい発達があり、それがオルガヌムの発展を支えたといわれているから、よく留意しておきたいね。

例えば、グイード・ダレッツォ(991頃〜1033以降)によって、記譜の際に音程の高低を明確にするために横線を引くことが考案されたのは大きな功績だった(20)

また、パリのノートル・ダム大聖堂で歌われるオルガヌムを作ったノートルダム楽派の人々は、6つのリズム型を角形ネウマの連結符の並び方によって表示するモード記譜法を編み出し、リズムをかなり明確に記譜できるようにした。
ノートルダム楽派の盛期を築いた一人、ペロティヌス (ペロタン。12世紀後半〜13世紀前半)の楽曲は、それ以前のオルガヌムに比べ拍子感が現れてきたといわれる(21)


オルガヌム誕生の歴史的意義

歴史派:
さて、このオルガヌムの誕生の意義については、岡田先生が次のように述べておられる。

「たった一本の旋律しかないグレゴリオ聖歌から、二本の旋律がポリフォニー的に絡み合わされる音楽へと、これは一見目立たない小さな一歩にしか見えないかもしれません。しかしながら私は、実はこれこそが、後の西洋音楽の発展の全てを可能にした途方もなく大きな一歩だったという風に言いたいと思います。」(22)

熱血漢:
われわれ合唱人としても、(再現可能な)多声音楽の起源であるこのオルガヌムについて、いま一度見直してみると新たな発見があるかもしれないね。

歴史派:
次回は、中世後期からルネッサンスにかけての合唱音楽の発展についてみることになるね。

熱血漢:
ルネッサンスと聞くと、途端にわれわれが日頃馴染んでいる合唱音楽に近くなってきたような気がするよ。次回も見逃せないね。


【註】

  • 1)グレゴリオ聖歌の名曲をまとめて聴くことのできるCD音源として,皆川達夫(監修),金澤正剛・川端純四郎(編集)「グレゴリオ聖歌T」「グレゴリオ聖歌U」,『CDで聴く キリスト教音楽の歴史』,日本キリスト教団出版局,2001年。
  • 2)皆川達夫(著)「グレゴリオ聖歌T」,皆川達夫(監修),金澤正剛・川端純四郎(編集)『CDで聴く キリスト教音楽の歴史 各曲解説・歌詞対訳T』,日本キリスト教団出版局,42-46,2001年,43頁。
  • 3)谷隆一郎(著)「アウグスティヌスと西方・ラテン教父の伝統」,佐藤康邦・三嶋輝夫 (編著)『西洋哲学の誕生』放送大学教育振興会,173-186,2010年,174-175頁。
  • 4)グレゴリオ聖歌成立の歴史的背景全般について,金澤正剛(著)『CDで聴くキリスト教音楽の歴史 キリスト教音楽の歴史 初代教会からJ.S.バッハまで』日本キリスト教団出版局,2001年,43-52頁。
  • 5)前掲CD音源,皆川達夫(監修),金澤正剛・川端純四郎(編集)「グレゴリオ聖歌U」。
  • 6)岡田暁生(著)『西洋音楽史』放送大学教育振興会,2013年,37-40頁参照。
  • 7)前掲,皆川達夫(著)「グレゴリオ聖歌T」,44頁。
  • 8)岡田暁生 放送大学講義「第3回他声的音楽の始まり−西洋音楽の夜明け」,『西洋音楽史(’13)』。
  • 9)皆川達夫(著)『合唱音楽の歴史 改訂版』,全音楽譜出版社,1965年,18頁。
  • 10)前掲,岡田暁生,放送大学講義「第4回中世音楽の黄金時代と黄昏」。
  • 11)前掲,皆川達夫(著)『合唱音楽の歴史 改訂版』,27頁に掲載の楽譜を参照した。
  • 12)同上書,19頁。
  • 13)皆川達夫(著)「オラショとグレゴリオ聖歌とわたくし」,『文化財保護法50年記念 国立劇場第25回音楽公演 日本音楽の表現 祈り―うたの始原をたずねて』プログラム,2000年。
  • 14)ドナルド・ジェイ・グラウト/クロード・V. パリスカ(著),戸口幸策・寺西基之・津上英輔(訳)『新西洋音楽史(上)』,音楽之友社,1998年,106頁。
  • 15)前掲,岡田暁生(著)『西洋音楽史』,41-42頁。
  • 16)前掲,皆川達夫(著)『合唱音楽の歴史 改訂版』,41頁に掲載の楽譜を参照した。
  • 17)田村和紀夫(著)『文化としての西洋音楽の歩み わたし探しの音楽美学の旅』,音楽之友社,2013年,37〜38頁。
  • 18)吉川文(著)「中世」,片桐 功・吉川 文・岸 啓子・久保田慶一・長野俊樹・白石美雪・高橋美都・三浦裕子・茂手木潔子・塚原康子・楢崎 洋子(著)『はじめての音楽史―古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで(増補改訂版)』23〜33頁,2009年,33頁。
  • 19)前掲,田村和紀夫,48〜51頁。
  • 20)金澤正剛(著)『新版 古楽のすすめ』音楽之友社,2010年,100-102頁。
  • 21)前掲,岡田暁生(著)『西洋音楽史』,48頁。
  • 22)前掲,岡田暁生,放送大学講義「第3回他声的音楽の始まり−西洋音楽の夜明け」。


by KIN 2014/08/21 



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