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Vol.1 合唱対話篇

第11回 時空を超える合唱史の旅(1)―オクシュリンコスの聖歌って?―


合唱の歴史を知ろう


熱血漢:
最近、ピタゴラス音律やらテトラコードやら、古代ギリシャ音楽の話題が色々出てきているみたいだね。

理論派:
思えば、英語のコーラスchorusなどの言葉もギリシャ語のコロス(choros, 古代ギリシャ語: χορóς )から由来するしね。古代の音楽がどんな風だったのかは、興味があるところだね。

歴史派:
音楽は声楽として始まったとされている(1)。ピアノの歴史は300年ちょっとくらい。クラシックの定義をバロック期〜近代に作曲されたものをいうとするなら、クラシック音楽の歴史は400年くらい。それに対して合唱の始まりは有史以前ともいわれていて、いつはじまったのかがよく分からない。だから、合唱の歴史がほぼそのまま音楽の歴史といえるような時期は、相当に長いといえる。もちろん、途中で笛や弦楽器などが発明されたりするわけだけど。

熱血漢:
合唱の歴史か・・。

歴史派:
あるものの歴史を知れば、それが一体何であるかが分かり、それをどのようにして行けばいいのかも明らかになる。そんな効用があるかも知れないね。

熱血漢:
何だか、合唱の歴史を知りたくなってきたよ。


世界最古の楽曲の一つ「セイキロスの墓碑銘」


熱血漢:
大昔はどのような合唱が行われていたのかな。

理論派:
「人類が有史以前からすでにかなり程度の高い合唱音楽をもっていたことは、あきらかなよう」だという専門家の指摘はあるよ(2)
しかし、最初の合唱曲を特定するとなると、それは何らかの記録と言う形で残っていないと難しいんだ。再現ができないから。

熱血漢:
それは、仕方ないと思う。でも、記録が残っている最古の合唱曲というものは、何かしらあるんでしょ?

歴史派:
合唱用の作品としてではなく、独唱用だったといわれているけど、「セイキロスの墓碑銘」は、完全な形で残っている世界最古の楽曲の一つだよ。年代は紀元前2世紀頃から紀元後1世紀頃と推測される。墓石に歌詞が刻まれていて、歌詞の行間には古代ギリシアの音符による旋律の指示がある。墓石はエフェソスの近隣にあるトルコの都市アイドゥン近郊で発掘された。古代ギリシャの音楽としては、これより古いものもあるけど、完全な形で残っているという意味では、これが最古のものだよ。この旋律に付されている詞については、皆川達夫先生の本に素晴らしい訳があるから引用しよう。

「命かがやかしく,嘆きもしらねど、喜びは束の間。時は容赦なく終わりを刻む」

皆川先生は、この曲は「女声斉唱で歌うのもおもしろい」ともコメントされている(3)



熱血漢:
これは・・。すごい。

理論派:
この楽曲は、リズムが明瞭に記譜されている点が特に注目に値し、用いられている旋法は、古代ギリシャのプリギュア旋法(ピアノの白鍵の二音から始まる8度に相当する)といわれている(4)

熱血漢:
墓碑に刻まれた楽譜が現代にまで伝わり、それが最古の曲の一つして聴かれるなんて、何だか感動的だなあ。

理論派:
熱血漢くん、えらい感動のしようだね。
紀元前2世紀ころのギリシャ音楽の曲としては、他にも「太陽の賛歌」なども知られている。こちらも後で聞いてみてね。




三位一体の賛歌(オクシリンコスの賛歌)


歴史派:
現存する世界最古という意味では、最古の聖歌は知っているかな?

熱血漢:
最古の聖歌・・。グレゴリオ聖歌じゃないの?

歴史派:
グレゴリオ聖歌は、かなり後代になってから纏められたものだよ。
かつては、教皇グレゴリウス1世(在位590〜604)がその取り纏めに大きな役割を果たしたと考えられていた。しかし、それは伝説的な話なんだ。
現代の研究では、ローマ教皇を中心にラテン語圏の聖歌を統一していこうという動きが現実化したのは8世紀以降だとされている。そして最終的な形に落ち着いたのは10世紀になってからなんだ(5)

熱血漢:
そうなんだ・・。して、現存最古の聖歌は、どんな聖歌なの?

歴史派:
1922年にエジプト中部のオクシュリンコスで発見されたパピルスに記されていたものだよ。東方諸教会の聖歌とされる「三位一体の聖歌」(オクシュリュンコスの聖歌)で、三世紀末ころのものと推定されている。
古楽で著名な金澤正剛先生によるとこの楽曲は、「古代ギリシャの音楽論にもとづき、ディアトニック音階のヒュポリュディア旋法による旋律で、独唱者によって歌われる賛歌の最後の部分と思われる」とのことだよ(6)


東方諸教会とは?


熱血漢:
おお、新しい用語が沢山出てきた。ちょっと用語の意味を確認させてね。
まず、東方諸教会って何のこと?

歴史派:
ざっくり簡単に説明するね。
最初期のころ、キリスト教の中心地は5つだった。アレクサンドリア、エルサレム、アンティオケ(アンティオキア)、コンスタンティノープル、あともう一つはどこか分かる?

熱血漢:
わかった。ローマだ。

歴史派:
大正解。
その初期キリスト教の中心地5つに総主教を置いたんだ。しかし、後にローマ総主教が「教皇」という呼称を使用する。カトリックはローマを中心に発展し、そのカトリックから更にプロテスタントが出てくる。このカトリックとプロテスタントの諸派を指して西方教会という。これに対し、初期キリスト教会のローマ以外の地域の伝統の下にある教会を東方教会というんだ。
そして、東方諸教会というのは、5世紀ころに東方教会から分かれた諸教会のことだよ。431年にネストリウス派が分かれ、451年に単性論派が分かれる。単性論派は、シリア正教会、コプト教会(エジプトの教会)、アルメニア教会、エチオピア教会(アビシニア教会)に更に分けられる(7)(本コラムで東方教会という場合には文脈により東方諸教会を含む)。

熱血漢:
なるほど。
オクシュリンコスの聖歌は、エジプトで発見された訳だから、東方諸教会の聖歌だということになるんだね。

歴史派:
そうだね。しかし、オクシュリンコスの聖歌が成立した時代には西方も東方もなかった訳だから、あんまりその点にこだわっても仕方ないかもね。


ディアトニック音階とは?


熱血漢:
まだ、初めての用語があったよね。
ディアトニック音階とはなんのこと?

理論派:
それは、僕から説明しよう。

「第7回天体の音楽(2)」の中で、団員たちが、テトラコードと古代ギリシャ旋法についての話題にしていたよね。そこに関連する話なんだ。

古代ギリシャでは、テトラコード(4つの音から成る完全4度の枠)の接合パターンを組み合わせて完全音組織をつくっていたのは知っているよね。

そもそも、テトラコードの分割には基本的には3つの方法があった。すなわち、
・ディアトニック(全音|全音|半音)
・クロマティック(短3度|半音|半音)
・エンハルモニック(長3度|4分音|4分音)
だよ。その内、最も自然で普遍性があったのがディアトニックだった。これは、最も上から2つ全音をとり、一番下に半音を残すという方法だよ。
古代ギリシャ人は、ディアトニックに分割されたテトラコードを接合し、2オクターブに渡る音階をつくった。これをディアトニック音階による完全組織という。2オクターブの中心にあたる基本の音は、現在のピアノの白鍵のイ音にあたる(8)

そしてこの完全組織のうち、ピアノの白鍵のへ音から8度をとったものに相当するのがヒュポリュディア旋法なんだ(9)

熱血漢:
なるほど。

歴史派:
疑問が全て氷解したかな。
オクシュリンコスの聖歌の演奏音源としては、アトリウム・ムジケー古楽合奏団が「古代ギリシャの音楽」というCDを出している(10)。このCDは、演奏者が想像力を発揮し大胆に古代ギリシャ音楽を再構成して演奏している。大変に素晴らしい演奏だから、機会があったら是非聴いてみてね。

理論派:
ところで、オクシュリンコスの聖歌は、ギリシャ記譜法で記されていたんだ。

熱血漢:
聖歌の古い記譜法といえば、グレゴリオ聖歌をネウマと呼ばれる記号を用いて記譜した「ネウマ譜」は聞いたことがあったけど。ギリシャ記譜法で書かれていた聖歌なんて初めて聞いたよ。

理論派:
そうだね。でも、古代末期の記譜法の資料は非常に少なく、色々未解明な部分もある。古代末期からのキリスト教の普及・拡大に応じて、各地の教会が、独自の聖歌を持つ訳だけど、これらの聖歌の楽譜の資料も殆どといっていい位ない。

歴史派:
先ほどの金澤正剛先生もオクシュリンコスの聖歌について、パピルスの「保存状態も良いとは言えず、あまりにも短い断片なので、それをもって当時のキリスト教聖歌の代表的な例と考えるわけには到底いかない」と著書で述べておられるね(11)

熱血漢:
オクシュリンコスの聖歌より後の聖歌にはどんなものがあるんだろう。

歴史派:
では、次回はそこからお話しましょう。


【註】

  • 1)皆川達夫(著)『合唱音楽の歴史 改訂版』全音楽譜出版社,1965年,5頁。
  • 2)同上書,6頁。
  • 3)同上書,10頁。
  • 4)ドナルド・ジェイ・グラウト/クロード・V. パリスカ (著), 戸口幸策・寺西基之・津上英輔 (翻訳)『新 西洋音楽史〈上〉』,音楽之友社,1998年,36頁。
  • 5)金澤正剛(著)『CDで聴くキリスト教音楽の歴史 キリスト教音楽の歴史 初代教会からJ.S.バッハまで』,日本キリスト教出版局,2001年,51〜52頁。
  • 6)同上書,30頁。
  • 7)粟倉宏子(録音/解説/写真),『地球の音楽フィールドワーカーによる音の民族誌29 シリア/イラク 東方の響き シリア正教会の聖歌』,1992年,解説8〜9頁。
  • 8)金澤正剛(著)『新版 古楽のすすめ』音楽之友社,2010年,94頁参照。
  • 9)片桐功(著)「古代ギリシャ音楽」,片桐功・吉川文・岸啓子・久保田慶一・長野俊樹・白石美雪・高橋美都・三浦裕子・茂手木潔子・塚原康子・楢崎洋子(著)『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』,2009年,21頁参照。
  • 10)アトリウム・ムジケー古楽合奏団(演奏),グレゴリオ・パニアグワ(指揮),『古代ギリシャの音楽』,ビクタークリエイティブメディア,2006年
  • 11)前掲,金澤正剛(著)『CDで聴くキリスト教音楽の歴史 キリスト教音楽の歴史 初代教会からJ.S.バッハまで』,30頁。

by KIN 2014/08/13 




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