▲男声合唱組曲「わが歳月」から
 U.春 V.空谷
演奏:益楽男グリークラブ 2014年
HomeArchive研究コラム > 「阪田寛夫の世界」〜変わりつつある『わたくし』〜

「阪田寛夫の世界」〜変わりつつある『わたくし』〜

今回は「わが歳月」の作詞者阪田寛夫について調べました。阪田寛夫氏は1925年(大正14)大阪生まれの小説家、詩人、史家です。 童謡「サッちゃん」の作詞者でもあります。「わが歳月」の詩は1964年、阪田寛夫氏38歳ごろの作品です。 「わが歳月」の作曲者大中恩と従兄弟の関係で、その父である音楽家大中寅二から大きな影響を受けました。 大中恩氏は「自分よりもはるかに父から影響を受けていた。音楽家に憧れていた」と語っています。 そして彼はそのまま大学に進み専攻しますが耳を悪くして国史学科へ移しました。 彼の父、母ともに熱心なクリスチャンで音楽好きな聖歌隊の指導者であり、幼少期に洗礼を受けて、讃美歌などが日常的に流れ、恵まれた音楽環境で育ったようです。 そのせいか大中恩氏は阪田寛夫氏を「音楽がわかる詩人」と評しています。ここで大中恩氏が阪田寛夫氏と自身の作品との関係について語った文章を紹介します。

私と阪田氏の作品について
大中 恩

男声合唱の作品は私の合唱作品の中でいちばんとりあげられていない部分です。勿論数の上から言って、混声合唱曲が圧倒的に多いのですから仕方もありませんが、男声合唱に余り取りあげられていないのは、私としていささか不本意に思っているところです。しいて言えば、組曲風にまとまったものが無かったからかとも思いますが、日本では男声合唱団と言えば多人数の大学の合唱団が殆どなので、そういった若い学生諸君がぶつかってみるのに、私の男声合唱の表現技法はやゝこまかく女性的過ぎてとっつきにくいものがあったのかもしれません。しかし、若い男声諸君が、男声合唱とはこうなんだ、と、ある型の中に、ひびきの中にのみ陶酔してしまってはちょっと残念なので魅力ある大学の男声合唱から新しい感覚をひっぱり出したい……そして逆にこんなものにも諸君に魅力を感じてもらいたい、と思って書いたのが、この組曲『わが歳月』なのです。

1964年、同志社大学グリークラブの依嘱を受け、阪田寛夫氏と共に作りあげたものです。阪田氏と私の作品は、というより、阪田氏が、私が作曲することを前提として書いてくれた詩は絶対私でなければ作曲出来ないものかもしれない……と思うことがあります。それは、他人にはさせない、というような根性ではないのですが、彼が余りにも私を知り、私の音楽を知り、私はまた彼の詩のひとつひとつに彼の体臭、体液のごとく鼻をつくものを感じるくらい近くに生活してきたせいかもしれません。余談かもしれませんが、私達はお互いにどうも、自分のしていることには鈍感でも、相手のしていることには妙にテレくさいような恥ずかしさを覚えます。要するに他人事としてお互を見られないヘンなところがあります。干渉するということでなく、却って自分を見ているような錯覚のようなものです。 とにかく私共の共同作品はそういう点でいさゝさか私小説的なところも生ずるかもしれませんが、いわば私共から渉み出たようなものが、不思議に合唱フアンの諸氏に愛され育てられてきました。六曲をならべたこの組曲は、一年間の偶数月の歌です。何故そうなったのか私も知りません。併しきっと、奇数月の組曲がそのうちに出来あがるだろうと思っています。
(法政大学アリオンコール HISTORYより)


1.「十月」について

キリスト教への否定的な感情

幸いなるかなという言葉は聖書にある表現だそうです。しかし彼は1960年以降執筆活動の中で自分がキリスト教徒であることを繰り返し否定することを述べています。 更にクリスチャンであった父や母の信仰姿勢には彼は強い反発を抱いていたようであり、自分が洗礼をうけた身であることを不快であっても脱ぎ捨てることのできない肉のシャツのようなものを着せられたという表現を用いています。 そのように執拗にキリスト教徒であることを否定する裏側には、自分にとっての信仰のあるべき姿を求めていた彼が聖書のことばを使うということは、その詩の行間には常にネガティブな意味合いを含むと思います。
付け加えると阪田氏は10月生まれです。


2.「我が二月」について

シュールな映像性

阪田寛夫氏は北原白秋以降の写実的な詩からイメージに重きをおく現代詩の世代の詩人です。そして「シャム猫の首〜」のくだりはグロテスクでシュールな映像性があり、それでいて抒情的でもいて、これは阪田寛夫氏の他の作品にも共通する表現です。更に彼は他の自作品について語る際「いま何かに変わりつつある『わたくし』」という者を表現するといった意味合いの篤験をしています。一つの作品の中でも主題になる存在は変化を経て、その作品が連なることで変化の総体を表現するというものなのでしょうか。


変わりつつある『わたくし』

阪田寛夫氏は伝記的小説家としての一面があり、まど・みちお氏を書いた「まどさん」などの作品もあります。そのほかの小説などに共通するテーマは「人間・現実にたいしてのおもしろみや悲しみ、人間臭さ」へのまなざしです。 その彼が「いま何かに変わりつつある『わたくし』」ということを考えていくのならばそれは日常生活で向き合うもの―会社や社会、あるいは自身の信仰―と日々向き合いながら日ごとに変化を積み重ね、まったく違う「わたくし」になる人生というようなテーマも隠れているのではないかと思います。

最後に、「わが歳月」作曲者大中恩氏は終曲「音立てて」にたいして「『瓦礫の街を、おれ走る、走る』に組曲全体の意思が凝縮されている。大切に、おおらかに歌ってほしい。」とコメントしていることを付け加えておきます。


by 史吟 2017/02/05 





inserted by FC2 system