無伴奏男声合唱のための「カウボーイ・ポップ」より
 4.ある日 5.ヒスイ
作詞:寺山修司  作曲:信長貴富

演奏:益楽男グリークラブ

無伴奏男声合唱のための
「カウボーイ・ポップ」より4.ある日
作詞:寺山修司  作曲:信長貴富

演奏:うたう会

無伴奏混声合唱のための
「カウボーイ・ポップ」より5.ヒスイ
作詞:寺山修司  作曲:信長貴富
演奏:東京大学柏葉会合唱団

無伴奏混声合唱のための
「カウボーイ・ポップ」より5.ヒスイ
作詞:寺山修司  作曲:信長貴富
演奏:ジュニアコーラス Raw-Ore
HomeArchive研究コラム > ある日・ヒスイ解説

ある日・ヒスイ解説

ある日

いくつもの時間の波が交錯するような前奏は、3小節目で収斂しますが、実はこの和音、中間部の転調・変拍子が元に戻るときにも出てきます。関連性があると見るべきでしょう。

「母のない子に〜」と歌詞が出てきますが、寺山修司という詩人は「○○は△△」という短文をいくつも列挙して、より大切な何かを表現するという修辞法を多用します。これはその典型で、「母」から「海」までの歌詞に重要な意味はありません。ただ、曲構造としては歌詞に対するリフレインが徐々に前に迫ってくるなど、効果的な演出がされています。

2ページ目に入って「旅のない子に〜」と歌いだすと、次の「恋」という言葉を意識して動揺し、和音も歌詞も乱れます。クレッシェンドの勢いで「恋」と言おうとしますが、勇気がないのか尻すぼみになってしまいます。ここから堰を切ったように「恋」という言葉が溢れ出し、2段目ではホモフォニーで「恋のない子に何がある?」と叫びます。なんど繰り返しても答えは見つかりません(余談ですが、これと同じ和音の半音進行がヒスイでも多用されます)。呆然としたかのように曲も停滞し、突然転調して拍子が変わります(ヒスイと同じ調合・拍子に)。

暖かい夕焼けのような和音、痛ましさを感じさせる強い和音が交互に用いられ、何かの隠喩のように「ひまわり咲いた。日が暮れた」と歌われます(ちなみに原詩では「ひまわり咲いて、日は暮れて」です)。そして、冒頭3小節目でも使われたE♭9で、我に返ったかのように調と拍子が元に戻ります。

結局答えは出ないまま、嘆きのような切なさのような想いを込めたソロで一瞬だけ顔をのぞかせ、ゆっくりと消えていきます。


研究会コメント

  • フレーズ終わりの「ある」を愛情を持って収めたい。
  • 前半の肯定の「○○がある」は、cresc.が付くが、後半の疑問形の「なにがある?」は、decresc,基調である。
  • 入りのB.O.や主旋律以外は、スラーが付いてレガートであるのに、主旋律の八分音符の繋がりは、スラーが付かない。横に流すだけでなく、子供をあやすように一音一音を押さえると歌い分けられるのではないか。こんなところに親目線を感じる。


ヒスイ

1ページ1〜2段目でこの曲の重要和音が提示されますが、2段目では動揺をあらわすかのように各パートが激しく上下動します。3段目で裏コードと呼ばれるA♭(U♭)に入り、感情的にも音楽的にも、ここではないどこかへ行きそうになります。このA♭(U♭)は7ページの最後半小節でも象徴的に用いられており、この1ページの前奏自体が2〜7ページのダイジェスト的な性質を持っているのではないかと思います。

2〜3ページ1段目にかけて、メインテーマが提示されます。同じフレーズを2回繰り返して1つのメインテーマとしていますが、前半は1小節ごとに半音ずつ和音が下がる独特の進行です。これは「ある日」2ページ2段目の「恋のない子に何がある」と同じ進行で、関連性を感じずにはいられません。「恋のない子に何がある」というニュアンスを含んだ前半を受けて、心の一番繊細な部分に触れたかのように、「きみ」という歌詞がmeno fという音量を呼び出します。ここからの後半は前奏で提示された重要和音が用いられ、不安定な心情が見事に表現されています。

3ページ2段目からの「過ぎ去った夏に〜」ですが、ここで注目したいのは始めの和音E♭maj7です。これはE♭とGmを合体させたものです。長調と短調の複合和音を背景に「過ぎ去った夏に〜」と歌うのです。何かあると深読みするのも無理はありませんよね。「それはまばゆい〜」から各パートがポリフォニックに動き出します。ヒスイの輝きに動揺したのは明らかで、トップの「まばゆいみどり」はとても悲劇的に聞こえます。

4ページ3段目からのメインテーマは、この動揺を受けて再び溢れた想いと言えるでしょう。音楽的には作品の一貫性を確保する芯のような役割です。ただし2〜3ページにかけてのメインテーマよりも想いは深まってると解釈していいでしょう。

6ページに入ると調号が消え、数小節ごとに目まぐるしく転調します。過去の自分の至らなさを思い、激しく動揺するシーンですが、不思議と安定する瞬間があります。6ページ2段目最後と、7ページ最初のB♭です。作曲技法上の話ですが、5ページまでの調はGm(いわゆるソから始まるドレミ)です。この調は調号を変えずにB♭(シ♭から始まるドレミ)として使うことができます。この調性感の名残りが、かすかな安定感を与えるのではないでしょうか。それが、6ページ2段目最後では自嘲の笑いのように、7ページ最初では自らを奮い立たせる勇気のように響くのです。

8ページからのソロは、当初合唱と馴染まない音が多いのですが、9ページ半ばから合唱に溶け込んできます。それを受けて、合唱が歌ってきたメインテーマがついに変わります。9ページ最後のセカンドの「きみの」は、ハイトップが歌ってきた短調のフレーズが長調に変化したものです。3回目でようやくという感じですね。

10ページから曲全体が明るくなります(偶然かもしれませんが、最初のトップの「なみだを」は、「ある日」冒頭のセカンドと同じ音型です)が、ベースは半音下降進行で、完全に吹っ切れてない内面をさりげなく表現します。だからこそ、2段目最後のベースの「手のひらに」を受けて曲全体がmeno fになり、心の一番弱い部分まで落ち込むのです。それをクレッシェンドの勢いで突き破り、言葉を噛みしめるように、自分の想いを確かめるように2回繰り返します。

ラストは12ページ2段目までE♭maj7とF7add6の2つの和音の繰り返しです。E♭maj7がE♭とGmの複合和音なのは前述通り。ここで使われるF7add6は、ベースのE♭音とトップのD音にF和音が挟まれたものです。上下から挟まれて苦しそうなF和音、何かの象徴のようですね。そして12ページ2段目でついにF和音が上下からの圧力を打ち破り、Gsus4に変化します(E♭→F→Gと根音が上がっている点も注目です)。sus4は光沢を感じさせる硬質で美しい和音です。解決和音へと強烈な推進力を発揮します。そして堂々たるGで曲は締め括られます。これは、短調の曲の最後を長調和音で終わらせるピカルディー終止という作曲技法です。わりとポピュラーなテクニックですが、曲の内容が内容だけに実に効果的ですね。本当に素晴らしく作りこまれた曲だと思います。


研究会コメント

  • 冒頭の八分休符からダダダッと駆け出して、以降ひたすら4パートが疾駆する。
  • それぞれのパートが風のように、犬のように、所々駆け下り、駆けあがりしながら、突き進む。
  • 最初は繰り返しの中で、制約のある道筋だが、徐々に自由な動きが加わってくる。
  • 99小節セカンドの「きみの」をきっかけに、101小節からは空を駆け上がるような広がりに展開する。
  • 119小節から124小節に、ふと動きを緩めて振り返るが、直後にまた疾駆していく。
  • オサムさんいわく。冒頭1ページは、その後のダイジェストである。印象的な和音の形が先に使われているとのことなので、その印象も心に残すように歌えたら。その意味で、主旋律以外の和声パートの役割も重要であろう。


by 吉岡理 2015/06/10 





inserted by FC2 system