混声合唱のための
   「どちりなきりしたん」より T
    作曲: 千原 英喜

演奏:東京大学柏葉会合唱団


男声合唱のための
   「どちりなきりしたん」より T
    作曲: 千原 英喜

演奏:益楽男グリークラブ
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どちりな研究会Tまとめ


このプレゼンの目的

楽曲の解釈と音楽の展開について、最小限度の共通認識を持つこと。


「どちりなきりしたんT」で歌われていること

・・・キリスト教のススメ:神が存在する事の証明

今回とりあげる「T」は、以前益楽男が演奏した「W」「X」に至る話の切り出しにあたる。最初の「T」で神の存在が確かなものとされる事により、後続の曲に確かな意味付けが為される事になる。
T:神が居る事の証明 ⇒ V:教義を説く ⇒ W:教えの実践 ⇒ X:贖罪による救い


「本歌取り」の作曲スタイルによる世界観の構成

「本歌取り」は和歌の作成方法のひとつで、有名な古歌の1句or2句を自作に取り入れて、作歌を行う方法。音楽の世界でも、オリジナルへのリスペクトを示して意識的にモチーフを取り込む事をこう呼ぶ。作品に奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に使用される技法である。

千原英喜は使用したテキストの出典を明らかにして作品に取り込むことで、ラテン語テキストによる「欧州キリスト教の思想背景」と、日本語テキストによる「日本におけるキリスト教」という二重構造を設定し、「架空のキリシタン信仰世界」を描き出している。


妙貞問答(1605年、不干斎ハビアン著)

・・・日本語テキスト部分の原典

身分のある女性が自分でキリスト教について理解するために書かれた本。

浄土宗の妙秀の問いに対し、キリシタンである幽貞が答えていく中で、仏教への批判とキリスト教の勧めが描かれている。上中下巻から成るが、歌詞に用いられたのは下巻の第2章。妙秀がキリスト教に理解を示し始めたところで、幽貞がキリスト教の正しさについて説く場面である。

※著者:不干斎ハビアン・・・仏も神も棄てた宗教者
元は禅僧だったがキリスト教に転向。しかし本国の宣教師に勝てる地位に上がれない事、妻帯出来ない事などを不満としてイエズス会を脱退して棄教。後に徳川幕府のキリシタン取り締まりに参加している。宗教に対しては論理的・合理的なアプローチをとり、主要な宗教である仏教とキリスト教を初めて比較分析した人物である。


サカラメンタ提要(1605年)

・・・ラテン語部分の原典

司祭がキリスト教の儀式を行うための典礼書を、日本版としてローカライズしたもの。日本で初のカトリック典礼書であり、ラテン語による聖歌も19曲掲載されている(日本で初めて出版された楽譜でもある)。複雑な形の曲が多く、専門的な訓練を受けた聖職者や聖歌隊、神学生により歌われていた。例外的に、「T」に盛り込まれている「Veni creator Spritus」、「W」の「Tantum ergo Sacramentum」は平易で歌い易かったため、当時の日本の一般教徒の間でも広く歌われていた。
修道士ラバヌス・マウルスにより作曲された「Veni creator Spritus」は、新約聖書の「聖霊降臨の五旬節ペンテコステ」をモチーフとしている。イエスが昇天した50日後、イエスに従った信徒たちが集まって祈っているところへ、激しい風のような音が天から聞こえ、炎の様な舌が分かれ分かれに現れて一人一人の上に降ってくる。信徒たちは聖霊に満たされ、様々な国の言葉で語り始める…という聖霊降臨のエピソードである。聖霊が宿った者は浄福の境地に至り永遠の命を得るとされる。


歌詞解釈

・・・目的論的証明による「神が居る事の証明」

「T」で歌われているのは、『神が居る事の証明』である。
※目的論的証明
 世界は複雑・精妙・壮大な組織と秩序から成り立っている
 ⇒こうした世界は、自然発生したとは考えられない(誰かが作ったはずだ)
 ⇒何ものかが作ったのならば、それは神に他ならない
 ⇒よって神は存在する


♪ ありとせあらうる物 〜 叶わず
全ての物は、”初め”がなくては成立しない。”初め”があるならば何か他の力によるものであり、自然発生する事はない。

♪ 見給え 〜 あやまたず、三十日を積もりて 〜 示され候
天には月、日、星の3つの光が存在し、決まった方角に決まった時間で運行している。
時間は正確に流れていて、四季も時期が狂うことなく訪れている。季節が移ればそれぞれの有りようが現れるが、それも昔から狂うことなく推移してきている。
キリシタンの教え(万物は神が作った)が正しいという事は、こうした天地の間の営みから見てとれるのである。

♪ Veni creator 〜 (ラテン語部分)
「創造主である聖霊よ、来て下さい」:人々による神への呼びかけ。ここまでは理詰めの話が続いてきたが、感情的な神への祈りが現れる部分であると考えられる。

♪ 下に万機の 〜 在します為なり
下々の民衆に政治が施されるのは、君主が居るからである。同様に、天地が狂う事のない営みをして居られるのは、その作者である神が居るからである。

♪ Veni creator 〜 (ラテン語部分)
感情的な神への祈りが、再び現れる部分。物語の進行とともにキリスト信仰のムードが高まっており(1回目の「Veni creator〜」によって聖霊が降臨する)、1回目よりも長い引用が取られている。

♪ 真の御主おんあるじ 〜 仰ぎ奉る
この偉大なデウスを信仰すべし。


※原典と歌詞との相違について

歌詞に用いられているテキストはあくまで歌詞として抜き出されているものであり、必ずしも原典に忠実ではない。特に最後の「真の御主おんあるじ〜仰ぎ奉る」の対訳は、P57 のような「来世で祝福されるよう、一緒に神を奉りましょう」という内容にはならない。

この部分の歌詞は他の日本語テキストと違い、妙秀と幽貞の問答からではなく跋文(著者の執筆動機が語られている)から引用されており、さらに対訳の内容は歌詞として拾われていない原典の文言に由来している。つまりここは幽貞の答ではなく、ハビアンの心情が反映されている部分である。ハビアンは宗教に対してあくまで論理的な姿勢を貫いて、拠り所とする事はなかったが、それだけに救いを求める気持ちは誰より強かったのかもしれない。

この様に原典に必ずしも忠実でない歌詞であるが、作曲者が音楽で作りたかった世界は歌詞として抜き出されたテキストから構成されるものである事を、留意しなければならない。



by 硫酸 2015/02/12 




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