男声合唱のための
   「どちりなきりしたん」より IV
    作曲: 千原 英喜

演奏:男声合唱団 羅面琴


混声合唱のための
   「どちりなきりしたん」より V
    作曲: 千原 英喜

演奏:大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団
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Vol.11-5 イエズス会と日本のきりしたんとの関係と影響


日本におけるキリスト教とイエズス会の歴史は、16世紀のヨーロッパでおきた宗教改革の中で生まれた、カトリック(旧教)会派イエズス会が大航海時代の波に乗り渡来して、当時戦国時代の只中にあった日本の鹿児島に宣教師フランシスコ・ザビエルが上陸したことから始まる上陸布教時代、織田信長の保護を受けて広まる黙許時代、豊臣秀吉の弾圧を受けるきりしたん弾圧時代、そして徳川幕府の棄教政策によるきりしたん殲滅時代を経て、潰えていきます。

この時代にキリスト教に出会った日本人は初めて西洋、ヨーロッパの文明に対して直接的な形で出会いました。そしてその文明は大きく分けて二つの形で日本に影響を与えました。

  • 鉄砲を始めとした軍事技術が輸入され、それが建築、衣服、装飾の技術に転化して現在にも残る形あるものとして影響を与える。
  • キリスト教を中心とした精神的な思想が中世日本に今まで伝わってきた価値観とぶつかり、日本の伝統芸能や美術に新しい刺激となり今までになかった表現の素材になったこと


イエズス会とキリスト教、日本のきりしたんとの関係と影響についてのポイント

  • 戦乱の時代の生と死に対しての心の救い求める精神的利益と貿易による富と技術などの現世利益を得ようとする二つの側面
  • 日本のきりしたんの殉教と棄教の取り扱い
  • 軍事技術の輸入と西洋、ヨーロッパの価値観と出会い、戸惑う日本人と家族社会

なぜ日本人はキリスト教を受け入れて、日本に広まり、そして弾圧されたか

当時戦乱の時代で暮らす人びとが現世を儚み、厭う中で衰退した仏教に変わる精神的な救いを求めていたこと、イエズス会が資金調達のために行っていた貿易からもたらされる富と、鉄砲を始めとした西洋文明の技術輸入のため、つまりは精神的利益と現世的利益の二つのニーズが合致したため。

きりしたんの人口拡大については当時日本の家族社会のなかで父親などの家長的な人物が入信すると自動的に家族と一族が信者になるケースが多く、全盛期には日本人の十人に一人がきりしたんになっていた。

時代が変わり、やがてキリスト教は権力者豊臣秀吉に警戒され、弾圧されることにより日本の社会においての現世的な利益を失い、さらに戦乱の終結による政策の転換により仏教の再評価が行われ、元々精神的な面において表面的な理解に止まっていたキリスト教は精神的な救いの思想を仏教にとって変わられることになり、こうしてキリスト教は日本人が求めていた精神的な利益と現世的な利益としての価値を失い潰えていきます。



イエズス会とは何か


イエズスは1534年にイグナチオ・デ・ロヨラが6名の同志と共に結成したカトリック男子修道士会。創設された目的はプロテスタント教会の宗教改革に対抗するための「カトリック教会による、カトリック教会自身の改革と刷新」、「清貧、貞潔を誓い、聖地エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能ならば教皇の望むところへどこへでも行く」こと。


イエズス会の特色

  1. 上長、とりわけ教皇に対する絶対的な服従
  2. 異境の地を戦場として認識して自らをイエスの戦士と位置づけて、布教のためには手段を選ばないこと
  3. 入会志願者に対する健康、思想、知性などの適正を量る選抜試験
  4. 海外布教に対する重視と実践

イエズス会より先に結成された修道士会に比べて実践と行動といった現世においての活動が重視され、「カトリック教会における教皇親衛隊」、「カトリック教会においての原理主義者軍団」といえる。


イエズス会を読み解くポイント

  1. 全ては大いなる神の栄光のためにという行動原理でありそのためには手段を選ばないこと
  2. 「霊操」を中心とした神学体系と「イエズス会会憲」による行動律・規範律の二つの理論的中枢
  3. ポルトガル王国の海外進出とイエズス会の布教との両立による教俗一体の思想と実践

イエズス会というものを考えるときにはすべては大いなる神の栄光のためにという行動原理がありその活動はこの一点に収斂されていくこと、それを支えるものが「霊操」と「イエズス会会憲」という二つの理論になる。

創始者イグナチオ・デ・ロヨラの軍隊出身の騎士という個性の影響がイエズス会の組織と規律に現れていてその在り方を一言でまとめると、「イエスの軍団」となる。



イエズス会とは何か A


「霊操」と「イエズス会会憲」について

イエズス会というものを考えるときにはすべては大いなる神の栄光のためにという行動原理がありその活動はこの一点に収斂されていくこと、それを支えるものが「霊操」と「イエズス会会憲」の二つの理論です。イエズス会というものの内面を知るためにこの二つの理論について触れていきます。


「霊操」という神学体系と「イエズス会会憲」

イエズス会に「霊的枠組み」と「立法的枠組み」を与え、一つの完成された組織体をもたらしたものは、イグナチオ・デ・ロヨラの著した「霊操」と「イエズス会会憲」でした。

ロヨラは1521年にフランス軍とのバンルローラの戦闘で瀕死の重傷を負い、その闘病生活の過程で宗教的な神秘体験し、神と悪を識別する「霊的弁別」を得て翌年、ロヨラはマンレサのカルドネール河畔で、さらに大きな神秘体験をする。彼はこのことを「偉大な照明経験」と記し、これを契機にロヨラは「霊操」の執筆を決意、スペインの修行時代から起稿してパリ大学在学中にほぼ完成し、ロヨラは執筆とあわせて同志たちに霊操を指導し、フランシスコ・ザビエルにも霊操を授けています。

「イエズス会会憲」は立法的枠組みとしてロヨラを中心として作成され、ローマ教皇の承認を経て制定されたイエズス会の会憲です。特徴として修道士会の資産の所有と運用が認められ、今までのカトリックが正面から向き合うことを避けてきた労働に対しての報酬、貨幣と富という問題を認めて対応する姿勢は、対抗する目標たるプロテスタント教会に似た傾向を見ることができます。

by 史吟 2014/08/12 




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