Vol.11-1 どちりな研究会まとめ
このプレゼンの目的
詩の解釈と音楽の展開について、最小限の共通認識を持つこと。
どちりなきりしたんW
西洋文化と日本文化接触。”Christian”になりきれなかった”きりしたん”
歌詞に出てくるキリスト教の教え
A : 「我を慕うものは闇を行かず、ただ命の光りを持つべし。」
↑ この一文にキリスト教の思想が要約
↑ この一文にキリスト教の思想が要約
闇 ⇒ 自由と罪に囚われた人間の存在
・・・不死の存在として作られたアダムは、
知恵の実を食べた罪で死すべき存在(人間)になる。
食べるかどうかを選ぶ自由があった為に、神に背いて「罪」が生じた。
・・・不死の存在として作られたアダムは、
知恵の実を食べた罪で死すべき存在(人間)になる。
食べるかどうかを選ぶ自由があった為に、神に背いて「罪」が生じた。
光 ⇒ 死すべきアダムからのがれること
・・・人間はアダムの罪を引き継いでいて(自由が故に人は罪を犯す)、
そこから逃れるためにキリストの教えに倣う。
・・・人間はアダムの罪を引き継いでいて(自由が故に人は罪を犯す)、
そこから逃れるためにキリストの教えに倣う。
A : 「 神(デウス)の御国は汝達のうちにあり。はかなき世界を厭うべし。」
⇒ このみじめな世を捨てなさい
世界の終りにキリストが再臨し、あらゆる死者を蘇らせて天国と地獄に振り分けるから。
⇒ このみじめな世を捨てなさい
世界の終りにキリストが再臨し、あらゆる死者を蘇らせて天国と地獄に振り分けるから。
B: 「はつる宝を訪ね求め〜ここにかくれたる天の甘味をおぼゆるべし。」
⇒ いずれ無くなる富や名誉を求めるのは虚しい事であり、この世を軽んずる事によって天国へ向かうのがベスト。聖書から知識を得ても、神への愛や尊敬が無ければ無益とされ、 内面的な意味でキリストの生き方に倣う事で、天国に行けるとされた。
⇒ いずれ無くなる富や名誉を求めるのは虚しい事であり、この世を軽んずる事によって天国へ向かうのがベスト。聖書から知識を得ても、神への愛や尊敬が無ければ無益とされ、 内面的な意味でキリストの生き方に倣う事で、天国に行けるとされた。
A: 「心の闇を逃れ、光得んと思わば、主の御功績を、学び奉れ」
⇒ 闇から逃れ光を得ようと思うならば、神を慕いなさい
⇒ 闇から逃れ光を得ようと思うならば、神を慕いなさい
A: 「天の道に至りたらん人は、ここにかくれたる天の甘味をおぼゆるべし。」
⇒ キリストの精神に倣う事でえられるもの:甘味=マナ(神秘的な力の源)
⇒ キリストの精神に倣う事でえられるもの:甘味=マナ(神秘的な力の源)
音楽的な構造
(F-mol)solo→A→ solo→A→B→ A → B → (G-mol)A→ (G-dur)C(拉)
Solo→A: ラテン語→日本語で同じ内容を歌う。
Solo のラテン語はドリア旋法(教会音楽にも使われる西洋的な響き)で歌われるが、 A で日本語になった途端に四抜き音階(和風な響き)になってしまう。
⇒ キリスト教の日本版ローカライズ。・・・「どちりなきりしたん」
昔の日本人には半音は難しく、移動ドのファが抜けてしまった。
Solo のラテン語はドリア旋法(教会音楽にも使われる西洋的な響き)で歌われるが、 A で日本語になった途端に四抜き音階(和風な響き)になってしまう。
⇒ キリスト教の日本版ローカライズ。・・・「どちりなきりしたん」
昔の日本人には半音は難しく、移動ドのファが抜けてしまった。
B: 四七抜き音階(和風な響き)で歌われる。
キリスト教の考えをさらに学ぶが、ファに続いてシも抜けてしまう。
C(Genitori〜まで): ラテン語によるグレゴリオ聖歌だが、本来と異なる 4/4、3/4・2/4 拍子
を含む。
⇒ 西洋のリズムに乗り切れない”きりしたん”たち
⇒ 西洋のリズムに乗り切れない”きりしたん”たち
C(Genitori〜以降): 流暢な 6/8・9/8 拍子になる。
⇒ ”きりしたん”を迎え入れ、ともに歌う christian たち
⇒ ”きりしたん”を迎え入れ、ともに歌う christian たち
※C は「サカラメンタ提要」からの引用。キリスト教の儀式を行うためのハンドブックを日本版ローカライズしたもの。
緊急用に、日本語での洗礼手順とかも載ってる。
どちりなきりしたんX エピローグ:Ave verum Corpus
弾圧される”きりしたん”と、殉教(信仰の為に死ぬこと)。
歌詞で歌われること
・キリストの受難=磔刑。
⇒ キリストの死は贖罪(罪を償って死ぬこと)であり、これにより人類はアダムから 引継いできた罪を償う事ができ、救われるとされる
⇒ キリストの死は贖罪(罪を償って死ぬこと)であり、これにより人類はアダムから 引継いできた罪を償う事ができ、救われるとされる
・作曲者はバッハのヨハネ受難曲の最後の小さなコラールと同義のものを意図。
⇒ イエスを弔った人々がイエス亡き後もを信じ、力強く生ていと宣言する曲
⇒ イエスを弔った人々がイエス亡き後もを信じ、力強く生ていと宣言する曲
・具体的なテキストとしてはキリストが死ぬ場面が歌われているが、「歴史の奔流に呑まれていったキリシタンの人々の悲しみ、慟哭を感じさせ」る。
⇒ 日本史で言う禁教令、踏み絵、キリシタン弾圧と言ったものを連想
⇒ 日本史で言う禁教令、踏み絵、キリシタン弾圧と言ったものを連想
音楽的な構造
(G-dur)A-A-B(A-dur)B(D-dur)C(H-dur)D(E-dur)A-A
A(Ave verum 〜) : 穏やかな曲想。
B(Cujus latus 〜) : イエスが傷つく場面。短調和音や不協和音が使われる。
C(Esto nobis 〜) : 傷ついたイエスに救いを求める場面。
D(Ave verum 〜) : グレゴリオ聖歌の「Ave Verum Corps」。
全パートのユニゾンにより、キリストへの強烈な祈りを歌う。
全パートのユニゾンにより、キリストへの強烈な祈りを歌う。
最後の A-A : 非常に小さい音量で、消えて行くように歌われる。
⇒ 悲しみにくれるのではなく、追憶と安息で締めくくる
⇒ 悲しみにくれるのではなく、追憶と安息で締めくくる
by 硫酸 2014/07/26 Tweet