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Vol.1 合唱対話篇

第8回 天体の音楽(3)―魂のリズムの調和とは―


教父の活躍と天体の音楽

さかわの:
さて、古代ギリシャの時代が過ぎると、天体の音楽の考え方はどんな展開をみせていくのでしょうか。

KIN:
とても興味深い発展をしていくよ。

キリスト教の西方ラテン教父であるアウグスティヌス(354〜430)によって、天体の音楽論は質的に深められたといえると思う。

さかわの:
教父・・。2世紀から8世紀半ばまでのキリスト教古代に、学問と修道とに渾然一体として取り組んだ人々ですね。傑出した成果を出し、かつ生活の聖性を身をもって証した人々だけに与えられる称号ですよね。 教父たちによって、古代ギリシャの合理的精神とキリスト教の信仰との融合がなされ、西洋の様々な文化や思想に大きな影響を与えたという話はよく知られています。
天体の音楽論もやはり教父の思索によって進化を遂げるのですね。

KIN:
うん。アウグスティヌスは、音楽論という本を著している。その音楽論の最終章で『天球の至高の回転運動の調和』ついて言及するよ。 呼び方は、古代ギリシャとは少々異なってはいるものの、天体の音楽のことと解釈していいと思う。

さかわの:
音楽論を展開していき、その結論部分で、天体の音楽にも話が及ぶということですね。そうなると、アウグスティヌスの音楽論がどんなものか、見てみる必要がありますね。


アウグスティヌスの音楽論

KIN:
では、アウグスティヌスの音楽論を概観してみましょう。

彼の音楽の定義は、「音楽とは、よく拍子付けることの知識」というものだよ。アウグスティヌスの音楽論は古代ギリシャのハルモニア論とは違って、音階論ではなくリズム論なんだ。

さかわの:
リズム論というのは面白いですね。

KIN:
そして、リズムに潜む数的な規則に着目し、数の分析を行うよ。
具体的には、1,2,3,4の数字の完全性を論証するんだ。

さかわの:
ということは、ピタゴラス派の影響が明らかにありますね。

KIN:
そうだね。
アウグスティヌスの説明を端折りつつ簡単にまとめると、次のようなものだよ。
すべてのものには、始めと真ん中と終わりがある。これは3つの要素から成るから、3にはある種の完全性がある。
そして、3が卓越しているのは、3が1と2から成り、かつ1と2のすぐ後に置かれることである。同じように、4が卓越しているのは4が「1+3」または「2×2」から成り、かつ1,2,3のすぐ後に置かれている点であるという。
アウグスティヌスは、このような類比の論理を非常に重視し、他の数(2、3、4の組や3、4、5の組)ではこのような「規則正しい前進」ができないことを確かめる。
このようにして、1,2,3,4までは「正しく規則的な前進」であるという。だから、1,2,3,4の合計は10となるし、人々は1〜10まで数えると再び1に戻るのだともいう。
結論として、もろもろの数の中で最初の四つの数とその結びつきが最も名誉あるものだとする。

さかわの:
ピタゴラス派のテトラクテュスの重視の発想と同じですね。

KIN:
数についての根本認識は、ピタゴラス派と同じと考えていいだろうね。
アウグスティヌスの音楽論で特徴的なのは、感覚というものも議論の中できちんと取り上げていることだよ。
いわく、一時間以上の時間を占めるものは、我々の感覚によく適合できない。われわれを魅了するような歌や踊りは、「隔たりの短い拡がり」であるから、その範囲で検討するといっている。

さかわの:
前回、アリストテレスが「感覚とは比例形式である」と考えていた、という話がありましたが、その議論を彷彿とさせますね。
アウグスティヌスの音楽論は、基本的な部分についてピタゴラス派の「数比の理論の重視」やアリストテレスらのいう「感覚」などの議論の積み重ねを踏まえているような印象があります。

アウグスティヌス自身のオリジナルなところは、どういう点なのでしょう。


魂の働きとしてのリズム論

KIN:
アウグスティヌスの独自性は、音楽と魂論を融合させたところだと考えられるよ。
魂の働きについて、音楽になぞらえて論じているといってもいい。

さかわの:
魂論・・。新しい発想ですね。

KIN:
ざっくりと説明すると、
神は完全に理性的なものである。これに対し、人間は、理性と感覚に基づく感性との両側面を備えているのが特徴である。しかし、人間は「完全な理性的存在者」ではないゆえに、魂の志向の方向性によって神的なものに近付きもするし、穢れもするのだ・・。という基本的な発想がある。

だから、アウグスティヌスは、「単なる数的調和に適合したリズム」については、場合によっては人を堕落させかねないものと見ている。

さかわの:
どういう場合に堕落につながっていくのでしょう。

KIN:
アウグスティヌスは魂を通じた働きを分析しているよ。その結果、魂の働きには内奥の善に向かうものと、外面に傲慢に拡張するものとがあるとする。
そして、外面に傲慢に拡張する魂の働きというのは、自己自身の下に他の魂を所有しようという欲求だという。
この場合、魂は他の魂に対して作用を及ぼすための手段として、リズムと運動を用いて名誉と賞賛を求める。これによって、純粋で全き真理についての洞察から引き離されるというんだ。

さかわの:
反対に、内奥の善に向かう魂の働きというのはどういうものなのですか。

KIN:
(魂のリズムに含まれる)魂の働きは、習慣や「劣った美への愛」という逆境や敵対物と闘っている状態なんだ。そこで、思慮、節制、勇気、正義という4つの卓越性を発揮することが必要となるという。 これによって魂の働きに「神の秩序付け」が保たれる。それは、魂がこの世で完成される道だともいわれる。

さかわの:
神の秩序付けというのが少し分かりにくいですね。

KIN:
神的なリズムということなんだろうね。
自らの魂に穢れをもたらすような、「他人の魂を所有しようとするためのリズム」と対照をなすものとしていわれている。そして、神的なリズムによって魂の働きが保たれる鍵は、「隣人への愛」だとされているよ。

さかわの:
なるほど。第3回「デウスの御国はどこにあるの」でもこの話が出てきましたが、自分自身のように他人や敵を愛する「隣人への愛」は、神の国の現れとも考えられていました。

他の魂を所有しようとする傲慢な欲求にしたがったリズムは堕落につながる。これとは反対に、隣人愛によるものは、神の秩序付けが保たれるということなのですね。

KIN:
まさに、そうだね。
ただし、アウグスティヌスの考えを理解するにあたっては、注意を要するところがあるんだ。
それは、彼は、「魂を穢すもの」を必ずしも悪だとは捉えていないという点だよ。例えるなら、「金の尊厳が純粋な銀の混交によってすら穢れるようなもの」なのだという。神ならぬ我々の、死すべき定めに由来するどんなリズムもそれなりに美しい。 だから、それらのリズムを神の摂理から排除はしない。それらを放棄するでもなく、しがみつくでもなく、適切に用いることによって、それらから自由になるのだという。

さかわの:
なるほど。
全部否定はしないのですね。

ここまでのお話で、だいぶアウグスティヌスの音楽論についてはイメージが出来てきました。


アウグスティヌスの天体の音楽

KIN:
では、いよいよ、アウグスティヌスの天体の音楽論のお話に入りましょう。

アウグスティヌスが、1〜4までの数を特別視しており、かつ数比の論理を重視していたことは既に見てきたとおりだね。
まず、彼は、この論理を土・水・空気・火の諸元素からなる物体の生成についても及ぼすんだ。つまり、1は点に対応し、2は長さ、3は幅、4は高さに対応する。これで初めて一つの物体が完成する。ところで、点、長さ、幅、それに高さも全て比の関係で成り立っている。この比の関係は、数的調和秩序の永遠の原理に由来するという。

そして、これは天体を含めた可視的な物体の総体である宇宙全体についても同様であるとする。天球の至高の回転運動は、数的調和という秩序のうちにあり、それは「理性的・叡知的なリズム」であるという。

さかわの:
感覚的なリズムと対比しての、「理性的・叡知的なリズム」なんですね。
この「理性的・叡知的なリズム」は、神のリズムとも言い換えられそうです。神のリズムだからこそ、万物のリズム(数的調和)ということになるということなんじゃないかと思います。

KIN:
そうだね。万物に及ぶ「理性的・叡知的なリズム」だからこそ、天体の運動をも含んだ壮大なリズム論となり得るのだね。

さかわの:
アウグスティヌスの音楽論は、数の分析論から始まり、魂の働きについての考察を経由し、神的なリズム論および天体の音楽へと達しているというのが興味深いです。また、人間の魂とリズム論という文脈では、隣人愛をも要請されていました。ここで、キリスト教的な考えがしっかり音楽論の中に入ってきていたのもポイントだと思います。

前回、ピタゴラス派とアリストクセノスのテトラコード分割を巡る音楽論の対決を詳しく検討し、今回は魂の働きと音楽論をハイブリッドしたアウグスティヌスの業績を見てきました。音楽論を軸に、西洋における古代ギリシャ精神の展開、そしてそれとヘブライズム(ヨーロッパにおけるキリスト教の文化性)との拮抗、融合の有り様を感じられたようにも思います。

次回はどんな内容になるのでしょうか。

KIN:
次回は、古代ギリシャ精神の結晶である音楽論の精髄を書物にまとめ、後代に甚大な影響を及ぼした人のお話になるね。そのため、古代ギリシャ音楽論というものが後の西洋音楽に如何なる影響をもったのか、という点に話題が及ぶと思います。

さかわの:
次回も目が離せそうにありませんね。

【参考文献】

  • アウグスティヌス(著),泉治典,原正幸(訳),『アウグスティヌス著作集第三巻』,教文館,1989年
  • H・I・マルー(著),岩村清太(訳),『アウグスティヌスと古代教養の終焉』,知泉書館,2008年
  • 田村和紀夫(著),『文化としての西洋音楽の歩み わたし探しの音楽美学の旅』,音楽之友社,2013年
  • 佐藤康邦,三嶋輝夫(編著),『西洋哲学の誕生』,放送大学教育振興会,2010年

by KIN 2014/07/25 




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